V:「生きづらさ」について
女と男と家族と物語
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(23) 同性どおしの恋愛をどう考えますか

無条件で相手のことを受け入れることが愛することなら、それは男女間の問題を超えて考える必要がでてきます。

例えば、同性どおしの恋愛をどう考えればいいのでしょう。これまでの話をふり返りながら考えてみます。

性を越えた関係

外と内を皮膜で分け、その内側の世界を維持し続ける現象を生命だとすると、生命とは本来エゴイスティックものです。

しかし、その生命は定められた寿命をこえて自分を維持するために、他との交わりによって自分のコピーを残すようにしました。これは生命にとって最大の皮肉です。

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腕がほしいか、命がほしいか

山岳事故で腕を岩に挟まれた登山家が、生き延びるために自分で腕を切り取り生還する。これは寿命を越えて自分を維持するために他者と交わる道を選んだ生命とよく似ています。

他者との関わりによって可能となる生殖活動はエゴイスティックな生命にとって本質的に自己矛盾なのです。

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両腕と胸の間の世界は家族の原点

直立二足歩行によって産道が狭くなった人類は、早産という方法でそれを切り抜けました。そのため、未成熟なまま生まれる乳児を保育する宿命を背負いました。それが家族です。

未熟なまま生まれた乳児を抱く両腕と乳房によって囲まれた母親の小さな世界が家族の原点です。

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一緒に食事をすることが家族の原点

保育のため行動が不自由になった母親は他のサポートがなければ生きられません。ここに生殖以外の理由で他者に関わりをもつオスが登場します。

オスはどんな動機でメスとその乳児のために自分の食糧を犠牲にする道を選んだのでしょう。ここから生殖をこえた関わりが生まれたことは確かです。

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誰かに依存する家族の存在

母親に依存しなければ生き延びられない子供。父親に守られなければ保育できない母親。そしてその母親も父親も乳児の頃は誰かに依存して生き延びてきました。

この相互関係を家族と考えると、人間とは依存を本質とする存在だということができます。

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「依存する存在」から「依存される」存在へ

依存しなければ生きられない人間は、やがて「依存される存在」になります。この過程にこそ人間の精神のドラマの泉があります。

しかし、この二つの関係は互いに混在しながら複雑な展開をたどります。親子の間の依存関係は男女の間の依存関係にも反映しますし、やがて生まれる新しい親子の関係にも影響を及ぼします。

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性行為から分離された依存関係

他の人に依存するという関係を生み出した瞬間から、人と人の関係は性的な関係をこえて広がっていく宿命にありました。

自分の存在の精神的な支えを他者との関係に見いだすようになった人間にとって、関係の対象は異性でなくてもよくなります。つまり他者とは無数に存在することになります。

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逆立する「性の世界」

生殖という関係は家族という関係を生み、精神的な依存の関係の世界を発展させていきました。それは生殖という自然な関係から切り離された精神的な世界です。もはやそれを「人間の関係性」と一般化して呼んでもいいでしょう。

そして、この多様な世界は逆に男女の関係にも影響を与えます。当然、性的な関係の世界にも反映されることになります。

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生殖から切り離された「性の世界」

生殖のための自然な行為であった「性の世界」にさまざまな物語が入ってきて、男女の性行動とはかけ離れた「性の世界」が成立することは論理的にも考えられますし、それを「男と女」の関係ではなく、「人と人」の関係のひとつだと見なすことができます。

たとえ性的な行為が伴うようであってもそれは表現のひとつの手段でしかありません。


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