アユタヤ
 

4/13
 ぎゅ うぎゅう詰めの3等列車、アユタヤまで15バーツ。線路沿いにはスラム街がずーと続く。窓の外から水をかけられる。今日はタイ歴の正 月、大水かけ祭り(ソンクラーン)だそうだ。
アユタヤへ向かう車窓には、広大な田園地帯が広がる。






アユタヤはソンクラーン(タイ暦正月の水かけ祭り)で大騒ぎ!
 
アユタヤに着き、ホアランポーン駅で知り合った日本人と、軽トラタクシーで遺跡をまわることにした。どこに行っても水をかけられる。遺跡 はその大きさもさることながら破壊のすさまじさに圧倒される。とりあえず一周し宿を探す。1泊60バーツのドミトリー。同行の日本人はバンコクへ帰って いった。

4/14
 とにかく暑く、太陽の一番高い時は公園の木陰で昼寝し、わざわざ水をぶっ掛けてもらいながら遺跡を回った。びしょびしょになってもすぐ乾いてしまうぐら い だ。
 泊まった宿には、日本人が10人ほどたむろしていた。夜はみんなで酒を飲み、歌を歌ったりしてドンチャン騒ぎ。うるさかったのか? 酔っ払ったヨーロッパ人にいちゃもんつけられ、喧嘩になりそうになった。
 太陽はほとんど真上を通る。赤道近くにやってきたんだと実感した。


アユタヤ在住の日本人カッ プル。彼女は近所の美人コンテストに参加したのだそうだ。

いつもの昼寝場所。太陽は 真上。
大きなガジュマルの 木。崩れたレンガや仏頭を巻き込んで成長している。すごい生命力だ。
4/15
 昨日は飲み過ぎて遅かったので8:30ぐらいまで寝る。ドミの他の人たちはいつも遅いまだ寝ている。
午前中、昨日と同じ公園の真ん中の木下で昼寝。風邪が心地よい。鳥の声、魚のはねる音。バイクの騒音で目が覚めた。今日もソンクラーンの水かけ祭りだ。彼 らの写真を撮ろうとすると、わーっと寄ってきて水をかけられ、顔に泥を塗られる。歩き疲れたら休み、また歩く。ちょっと水、ビールを飲みすぎだ。
 夜の列車でアユタヤを発つ予定。いざ離れるとなると名残惜しい。ゲストハウスの日本人と歌を歌ったりして交流を深めた。自作曲を披露。なかなかに受けが よかった。
 ゲストハウスの人にバイクで駅まで送ってもらったおかげで早く着きすぎ、2時間待ってようやく寝台車に乗った。駅では若い坊さんがたばこを吸って、エロ マンガをひろげていた・・・・あれは煩悩を断ち切る為の修行だったのかもしれない?



遺跡周辺の石彫屋さん。正月だというのにもくもくと仕事をしていた。遺跡の修復にも関わってい るのだろうか。

アユタヤ遺跡観

 
ビルマとの戦争で破壊し尽くされたアユタヤの遺跡。いくつかの塔、仏像は難を逃れていた(再建されたものもある)が、その 古都 の姿は痛々しい。宇佐美圭司は著書「廃墟巡礼」のなかで自身の芸術史観、絵画制作の過程に触れながら「崩れていく姿に未来を見る・・・廃墟は廃墟として保 存するべきではないか・・・」ということを述べていた。完成された構築物はベクトルを失い、壊されることで運動と時間を取り戻す。構築と破壊、その双方向 のエネルギーの中間点が廃墟といえる。遅かれ早かれ、造られたものは壊れていく。廃墟の保存とは「風化し崩れていく姿を放っておく。」ことに他ならない。 日本の都市のように土地が無く、せわしない経済活動を行っているところでは「放っておく」ことは至難の業だろう。すぐにクラッシュ&ビルドの対象となる。 しかしアユタヤというと ころには、それを許せるような、ゆったりとした時間と、空間的余裕が感じられる。タイも近代化が進むにつれて、このような余裕を失ってしまうのだろうか?

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