クラシック音楽の政治学 
渡辺裕/増田聡 ほか著
青弓社 2005 242p.
ISBN4-7872-7195-4 \3000(抜)
■はじめに■
驚きました。実は、この図書には「まえがき」や「あとがき」に相当する箇所がありません。表紙をあけて標題紙があって目次、そして「第1章」が開始されます。最終章が終わったかと思うと、次のページは執筆者の紹介があって、即奥付です。たいてい、いやほとんどの場合、少なくとも「まえがき」「あとがき」のどちらかはあって、その図書の成り立ちや目的と、時には方法論まで述べられていたり、さらには協力者や担当編集者に対する謝辞などが見出せたりするものですが、それが一切ないのです。辛うじて表紙のカバーと標題紙のページに「『帝国の音楽』としてその出自をもち、『高級』という記号として流通・機能しているクラシック音楽の現在形を、グローバリゼーションと観光、ポピュラー音楽との関係性、語られ方、歴史、聴衆、生態学などの視覚から照射する」とあります。どうやら、本書のねらいはこういうことらしいけれど、なんというかちょっと舌足らずの感が否めません。いくつかの章を駆け足で覗きながら、どんな特徴をもった図書なのか確かめてみましょう。その前に目次のご紹介から始めましょう。

■目次■


第1章 「クラシック音楽」の新しい問題圏 渡辺 裕 9-48
第2章 「クラシック」によるポピュラー音楽の構造支配 増田 聡 49-81
第3章 レクイエムとしてのクラシック音楽 清水 穣 83-107
第4章 戦時下のオーケストラ 戸ノ下 達也 109-141
第5章 クラシック音楽愛好家とは誰か 加藤 春子 143-174
第6章 クラシック音楽の語られ方 輪島 裕介 175-211
第7章 距離と反復 若林 幹夫 213-242
■内容■
「第1章」。音楽の都ウィーンなどと言われると、きっと古典派の昔から今日まで多少かたちが変わっても、音楽の伝統と呼べるものが厳然としてあるのだろうなというイメージを抱きがちでした。しかし具体的に検討すると、その種のイメージは固定的に考えすぎると危険で、実はもっと異なる領域(本章では「観光」)との関連を考えることによって鮮明になってくる事例があるのだという文章に出会えます。たとえばウィーンではモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどウィーンで暮らし創作活動にいそしんだ作曲家が住んだ住居跡を市の博物館の分館と位置づけ、ウィーンを見学に来た人々にこの街のアイデンティティーを構成する要素として音楽に着目させているというのですね。結論だけ書くとこうなるのですが、具体的な記述が興味津々に読めるのです。ウィンナ・ワルツが演奏されるニューイヤー・コンサートについても触れられています。この催しについてはナチがオーストリアを併合したのと同時期に始まり、戦後に放送というメディアによって世界的に広まったといいます。また例の各小節の2拍目を伸ばす「ウィーン風」の演奏スタイルについても、ずっと昔からの伝統ではない、ということが指摘されています。観光政策としての音楽都市のイメージづけといい、メディア・イヴェントとしてのニューイヤー・コンサートといい、20世紀前半のある時期から意図的に演出され今日に至っているというのは、とても興味深い指摘でした。

さて、では日本に眼を向けるとどうなるのか。戦時下日本のオーケストラについて取り上げた「第4章」が用意されています。当時の国策と音楽がどう関係したかという問題について書かれた論考ですが、特にオーケストラに焦点を当てて書かれた論考です。当時はオーケストラの演奏会プログラムに日本人作曲家の作品が加えられたことや、さまざまな戦時下のイヴェントでオーケストラがどのように活用されたか、戦況の悪化にともなってその活動が制約されていく様などについて丁寧に論じられています。

戦後になるとクセナキスやシュトックハウゼンが活躍を始めますが、彼らの新しい音楽にしてもそれぞれの戦争体験が下敷きになっていることが示され、20世紀の戦争と音楽の関係の一断面を切り出して見せた「第3章」。「目から鱗が落ちる」というのはこういうことだなと納得しながら読みました。

「第5章」のように、この問題にこうした角度から一定の資料に基づいて考えるとこうした結論が導き出せる、という類の論考も含まれていました。つまり、同じ角度から考えたとしても違う資料に基づいて考えた場合は異なる結論に行き着く可能性もあるわけで、どうせなら、そうした複数の可能性を併せて読みたかったという感想を抱いた章もありました。しかし、この種の切り口から書かれた論考じたいが少なかった(なかった?)ことを考慮すれば、こうした論考を糸口にまた別の論考が生まれればいいのかもしれません。

クラシック音楽を、歴史はもとより経済や社会のうごきなどと絡めて考える本書のような存在は、まだ珍しいといえるでしょう。

【2005年5月15日】


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