ラジオの時代〜ラジオは茶の間の主役だった 
竹山 昭子
世界思想社 2002 352p.
ISBN4-7907-0941-8 \2800(抜)


■目次■

プロローグ 7
時間メディアの誕生 9ー67
一 文明の利器「ラジオ」への期待(11)
無線電話(ラジオ)の公開実験−−新聞社による先駆け(12)−後藤総裁の放送ビジョンにみる新聞社の影(26)−「ラヂオ・ファン」の「ラヂオ気分」(33)

二 茶の間に入った報時システム(43)
報時システムが家庭に入る(46)−報時システムの変遷(48)−ラジオの時報装置(53)−報時システムの社会史(60)
天皇報道に燃えたラジオ 69-162
一 大正天皇御不例(病気)放送(71)
御不例(病気)への放送局の対応(73)−御容態放送の内容(77)−大正天皇御不例放送の特徴(80)−御不例放送を終わって〜反響と放送局員の自覚、果たした役割(83

二 大正天皇大葬儀放送(89)
大葬儀葬列放送実現までの経緯(91)−大葬儀放送の基本方針(96)−大葬儀放送の内容(97)−大葬儀放送への反響(106)−大葬儀放送の総括(110)
三 昭和天皇御大礼放送(113)
全国中継放送網の完成(117)−御大礼放送(121)−御大礼放送の受容(131)−天皇儀式と国民(134)
四 封印された天皇の声(139)
マイクロホンがキャッチした玉音〜大礼観兵式(141)−封印された「玉音」(147)−開封された「玉音」(156)
「ラジオ文化」一つの到達点 163-242
一 スポーツ放送(165)
スポーツ放送事始め(165)−スポーツ実況アナウンスの確立(179)−アナウンススタイルの変容(186)

二 オリンピック放送(189)
  1 ロサンゼルス・オリンピック  
窮余の策の「実感放送」(191)−「実感放送」が伝えたもの(193)−オリンピック報道批判(198)
  2 ベルリン・オリンピック
「ナチ・オリンピック」(200)−オリンピックに向けて(202)−オリンピック実況放送(203)−開会式(205−)ナチ・オリンピックが生んだ「前畑ガンバレ!」(207)
三 ラジオドラマ(215)
ラジオドラマの誕生(218)−生みの親、服部愿夫と長田幹彦(232)−カンフル剤「五百円ドラマ」(237)−ラジオ芸術を目指して(239)
四 ラジオ体操(241)
アメリカからの情報(244)−ラジオ体操放送開始に向けて(248)−ラジオ体操開始(252)−簡易保険局の普及活動(254)−ラジオ体操の定着(261)−なぜ日本人の生活習慣となったのか(263)−ラジオ体操はどういう番組なのか(265)
占領期のマスメディア 269-345
一 マスメディアの天皇制論議(273)
二 『真相はこうだ』 (303)
あとがき 347-350
初出一覧 351-352

■内容■
本書のプロローグに指摘されていることですが、現在、放送といえばテレビを連想します。その日本のテレビはラジオ30年の土台の上に築かれたというのです。というわけで、本書は、テレビの土台になった日本のラジオはどういうメディアであったかを振り返ることを目的として書かれました。とはいえ、この著者には別に『戦争と放送』(社会思想社 1994年)という著書があるので、太平洋戦争の時代は取り上げられていません。目次を見てもある程度想像ができると思いますが、たとえばラジオメディアとしての特性を体現した装置や番組、国家事業に組み込まれたラジオ・イベント、太平洋戦争後の占領政策と密接にかかわったラジオ番組等、ラジオというメディアが独自に生み出したものを再検討しています。

1922年から、特に新聞社がラジオのもつ速報性・同時性に着眼して、ラジオの公開実験を開始していました。そして関東大震災が起こり、ラジオの必要性はより認識されるようになっていきましたが、けっきょく新聞社がラジオ経営に直接タッチすることはありませんでした。そして1925年、東京、大阪、名古屋の3都市に放送局が設立され、日本のラジオ放送が開始されました。それが翌26年には、早くも3局を合同して日本放送協会が設立されます。同じ年の12月、大正天皇が死去し、ラジオによる天皇報道がおこなわれることとなりました。しかし、それは今日思い描くそれとは大きくイメージが異なるものだったのです。それが昭和天皇の御大礼になると、いくぶん放送の自由度が増しますが、それにしてもかなりの制約のもとの放送だったことがわかります。天皇報道のこれらの経緯を読むと、初めて知ることばかりで、驚きの連続でした。1928年12月には昭和天皇の大礼観兵式があり、そこで偶然、昭和天皇の声をラジオがキャッチしました。現在ならなんでもないことでしょうが、これが物議をかもしだし、以後あの玉音放送まで天皇の声は封印されてしまったのです。

戦前のラジオ文化の到達点を示すものとして、「スポーツ放送」「オリンピック放送」「ラジオドラマ」「ラジオ体操」が取り上げられています。単なるエピソードの羅列ではありませんから、じっくり読みました。ことに日本のラジオドラマの最初の路線を敷いたリーダーとして紹介されている服部愿夫と長田幹彦のあたりは、教えられるところが多かったです。占領期のマスメディアも面白かったです。アメリカが戦後の日本のラジオで、どんな番組をどのような目的で作ったか、それがどう受け止められたかといった点についてまとめられているからです。本書全体を通じて、現在との落差を大きく感じるだけでなく、どうしてそうなったのかを考えてみようかという気にさせてくれる図書でした。

【2004年6月25日】


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