一九三〇年代のメディアと身体 
吉見 俊哉 編著
青弓社(2002  255p
.)
ISBN 4-7872-3197-9  ¥1600(+抜)


■目次■

−第1部− 1930年代という問題
第1章 一九三〇年代論の系譜と地平 吉見俊哉 11-64
1 「転向/抵抗」の三〇年代を超えて 〜1950年代の30年代論〜
2 生活文化としての二〇、三〇年代論 〜1960年代の30年代論〜
3 世界的同時性としての二〇、三〇年代論 〜1970、80年代の30年代論〜
4 総力戦と超越するモダニティ 〜1990年代の30年代論〜
5 本書の視座と構成
−第2部− 1930年代を読みなおす
第2章 一九三〇年代と「戦争の記憶」 ― 集合的記憶のメディア論的検討 野上元 67-91
1 「日露戦争の記憶」の総力戦の戦争学
2 総力戦体制の構築と書類・書物の空間
3 総力戦体制の完成と「経験の貧困」
4 書物という楽園、再び「夢」と化す総力戦
第3章 プロパガンディストたちの読書空間 難波功士 93-126
1 宣伝理論
2 宣伝組織・文化政策
3 宣伝と防諜
4 宣撫工作
5 総力戦論
6 「宣伝参考文献」の言説空間
第4章 「二つの近代」の痕跡 ― 1930年代における「国際観光」の展開を中心に 高媛 127-164
1 「西洋」にまなざされて
2 「観光楽土」の満洲へ
3 「東洋」の「代理ホスト」
4 「見えざる宣伝」
第5章 メディア論的ロマン主義 ― 横光利一と中井正一、メディアの詩学と政治学 北田暁大 165-194
1 メディア論の季節
2 メディアの固有性の発見
3 浮かび上がる身体
4 <メディア論>の帰結
5 メディア論的ロマン主義
第6章 「新作」を量産する浪花節 ― 口演空間の再編成と語り芸演者 真鍋昌賢 195-224
1 米若の売り出し ― 「佐渡情話」以前
2 契機としての「佐渡情話」
3 ラジオと浪花節の不安定な関係
4 日常の機軸としての巡業 ― 口演空間の差異化
第7章 <耳>の標準化 ― 認定ラジオという逆説 山口誠 225-252
1 聴取空間の創出
2 「認定」という逆説
3 認定ボイコットと改正
4 さらなる<耳>の標準化へ
あとがき 吉見俊哉 253-255

■内容その他■
1930年代といえば、昭和で言えば初期から10年代の半ばあたりまでにあたります。土台、その時代をどう捉えたらいいかということじたい、60年も70年も時間が経って、そのあいだに戦争があったわけですから、一様ではありません。本書を読んでわかることは、1950年代、1960年代、1970〜80年代、1990年代それぞれに1930年代をとらえる異なる見解が存在したことです。そして、1930年代日本に対するそれら4つの異なる視座は、段階論のように新しいものが旧いものを無効にしながら進んできたようなものではないことを示しています。これが「第1部」です。

「第2部」に収められた6つの論文は、それぞれ特徴で興味深く読めます。「第2章 一九三〇年代と『戦争の記憶』」では、「一九三〇年代に軍部の主導権を握り日中戦争を指導していった軍人たちは、『軍人の魂』の伝達の不全を嘆かれるとともに、なによりも読むことで戦争を体験していたのである」(p.77)というのです。もちろん、もっと具体的に論は進められていくのですが、こうした指摘じたい、私には新鮮な驚きでした。「第3章 プロパガンディストたちの読書空間」は「一九三〇年代は、『出版バブル』(佐藤卓己)の時代だった。とりわけ戦意高揚のための出版物、すなわち『宣伝(プロパガンダ)もの』の出版ラッシュのディケードであった」という文章でスタートしている。ここでは『プレスアルト』という雑誌に断続的に連載された、佐藤邦夫の「最近の宣伝参考文献」に取り上げられた図書を手がかりに考察が加えられています。「第4章 『二つの近代』の痕跡」は国際観光がキーワードになります。1930年代前半は、アメリカからの外国客を見込んだ国際観光を充実させようとしたようですが、国際関係が悪化するにしたがって、それが変質し、しまいには消滅していく変化の過程がわかります。

「第5章」は、哲学的考察をくわえた文章に時おりみられる、抽象性をふくんだ文体が特徴で、この手の文章を読まなくなって久しい私には、少々骨が折れました。ここに登場する中井正一と横密利一は、「反《思想》としての<メディア論>のロジックを徹底させた」ことが記述されていますが、1930年代日本の情況と折り合わされ、その結果、東洋的・日本的なものへ傾斜していったといいます(必ずしもマイナス・イメージだけで語られていないように思われます)。「第6章 『新作』を量産する浪花節」では、レコード、ラジオ、映画と浪花節という演芸の関係を、寿々木米若と米若が演じた『佐渡情話』を軸に考察されています。「新作」の耐えざる補充という点ではレコード会社と密接に関係をもちながら進みながらも、ラジオとの関係は興行での売れ方と国家の動向の絡み合いの中で変化していった様が、わかりやすかったです。「第7章」はラジオ受信機の製作に関して書かれています。認定ラジオなるいわば公的基準を満たしたラジオ受信機は、技術革新に遅れてしまい、高くて性能の低い製品になりがちだったようです。その間の事情を読んでみると、スリリングで面白かったです。
【2003年2月16日】


トップページへ
私の本棚へ
前のページへ
次のページへ