大田黒元雄とその仲間たち 雑誌『音楽と文学』(1916-1919)
 
回想・プロフィール・記事一覧

日本近代音楽館 編
日本近代音楽館(2002  49, ivp
.) ¥1000(込)
去る11月2日(土)から旧東京音楽学校奏楽堂で開かれていた奏楽堂特別展2002「近代音楽批評の誕生 大田黒元雄とその仲間たち 『音楽と文学』の頃」も、12月1日(日)で最終日を迎えます(11月30日(土)は閉館ですヨ)。実は今回は行けないかなと諦めかけていたのですが、幸運にも行けたのです。そこで入手したのが、この冊子でした。これが、なかなかよくできていて、ご紹介することにしました。では、いつものように「目次」から・・・。

■目次■


回想    4
「音楽と文学」の頃 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀内 敬三 4
大田黒元雄氏を中心にした座談会 8
バッハよりシェーンベルヒ時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大田黒 元雄 15
「音楽と文学」の仲間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村 光一 17
「音楽と文学」の仲間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村 光一 23
プロフィール 26
大田黒元雄 26
小林愛雄 31
二見孝平 31
中根宏 32
野村光一 32
菅原明朗 33
堀内敬三 33
秦豊吉 34
関重廣 34
森村豊 35
田邊主計 35
弘田親輔 36
石井誠 36
総目次 37
執筆者索引 47
付・出品リスト i

■内容その他■
大田黒元雄という人は著書・訳書をあわせて100冊を越えることで知られています。1893(明治26)年に生まれて1979(昭和54)年に亡くなりました。今回の冊子に紹介された(ということは特別展でも取り上げられた)仲間12人が生まれたのも1881(明治14)年から1897(明治30)年のあいだで、多くは1890年代生まれということがいえるのです。みんな19世紀生まれ。そして大田黒を軸にして親交が結ばれ、1916(大正5)年3月に雑誌『音楽と文学』を創刊するにいたるのです。

目次に挙げられた堀内の記事(オリジナルは堀内の『ヂンタ以来』1937年)によれば、『音楽と文学』は日本における最初の音楽評論雑誌といってよかったと指摘しています。はじめのうちは、同人たちで執筆陣をがっちり固めていたことが、冊子に掲載されている「総目次」によってもわかります。しかし再び堀内によれば1916(大正5)年の末ごろには、同人各人の生活の中にもさまざまな悲喜劇が起こり(個人に関することだから、と詳細は明かしていない)、当の堀内自身、1917(大正6)年2月に渡米、その後同人たちもしだいに熱が冷めていったと述べているのです。「総目次」を見ると第3巻に入ったあたり、つまり1918(大正7)年から終刊を迎える1919(大正8)年4月までは、まあ、ほとんど大田黒一人で踏ん張っていたことがわかります。余談ですが「総目次」には、なんと執筆者索引までついています。凄い!! 

特別展の出品リストも巻末に付されていますが、そこからは『音楽と文学』を刊行しているあいだにレコード・コンサートを行なったり、1916年12月9日には本郷の帝大YWCAで、大田黒元雄のピアノで「スクリアビンとデビユッシーの夕」と題されたリサイタルがあったことまでもわかります。ちなみにデビユッシーとはドビュッシーのこと。この当時はドビュッシーをデビュッシーといっていたのですねえ。たしか小松耕輔が外遊した大正の後半に、フランスで「ドビュッシーというんだよ」と教えてもらったと、その著書に記してあったと記憶しています。

たとえ特別展を見逃したとしても、この冊子は、手許に置いて参照したい。そんな方は、日本近代音楽館(TEL.03−3224−1584)に問い合わせてみたらよいでしょう。
【2002年11月29日】


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