強制された健康 〜 日本ファシズム下の生命と身体 〜 
藤野 豊
吉川弘文館(歴史文化ライブラリー100 2000  219p
.)
ISBN 4-642-05500-2  ¥1700(+抜)
健康ってありがたい、いいものだと思います。それは誰のためでもなく、まず自分のためだと思いますが、それがもし、国家の戦争目的のために健康を強制されるとしたらどうでしょうか? 本書は、そうしたテーマを扱っています。

■目次■


ファシズム国家が求めた健康 1
厚生省の新設
   厚生省前史 10
   厚生省の誕生 21
厚生運動の提起
   日本厚生協会の結成 32
   松本学と建国体験 49
   「紀元二六〇〇年」と厚生運動 64
「厚生」から「健民」へ
   厚生運動の多様化 86
   厚生運動と建民運動 97
   建国体操と健民運動 110
国立公園と厚生運動
   「紀元二六〇〇年」と国立公園 128
   新進鍛錬の場としての国立公園 135
   「健民地」としての国立公園 148
「健民」の証明
   社会事業から厚生事業へ 164
   病者と「健民」 177
   娼婦と「健民」 191
ファシズムの遺産 209
参考文献
あとがき

■内容その他■
ファシズムの研究は今後、医療・衛生政策、人口政策などの研究にも着手していくべきだという著者の考えにもとづいて書かれたのが本書で、そのキーワードは「厚生」と「健民」の2つです。

厚生省ができるまでの過程は驚きをもって読みました。1875(明治8)年に衛生行政を担うようになった内務省に衛生局が置かれますが、ここは、コレラなどの急性の感染病とハンセン病などの慢性の感染病をはっきり区別する立場をとり、前者を優先して考えていたといいます。ところが第一次世界大戦が起こり、ヨーロッパの成年男子の人口が激減すると予測がされるようになると、それまでの防疫重視の立場から「民族衛生」(優生学を根底におき、慢性の感染症などを予防して心身ともに優秀な人口を増殖させ、民族・国家の発展を医学的に進めようとする衛生のこと)へと政策をシフトさせ、「劣等な」国民の出生を防ごうととする管理体制が模索されるようになっていったというわけです。その旗振り役は陸軍、対する内務省も面子がかかっているわけで両者の間には対抗関係が生じました。そして・・・、

1938(昭和13)年1月、厚生省が誕生しました。その任務は国民の体位の向上と社会政策による国民生活の安定にあると木戸幸一厚相は明言しましたが、実際には、出生前は「国民優性法」によって遺伝性と決めつけられた病者・障害者には断種を行ない、そして出生後は「国民体力法」で体力検査を受けさせて、国民は<人的資源>としての国家管理を受けるにいたりました。

ちなみに私は「厚生」というコトバの意味を、きちんと調べたことがありませんでした。本書によれば、このコトバは中国の『書経』から選ばれたものだそうで「健康を維持または増進して、生活を豊かにすること」を意味すると紹介されていました(やっとわかった!)。

さて、国際的な機関として世界リクリエーション会議というのがあります。1940年に東京で開催されるはずだったオリンピックにあわせて、同会議を日本で開く予定になっていました。1938年のこと、日本のおける同会議の有志懇談会は‘リクリエーション’に代わる日本語に‘厚生運動’を選び、‘リクリエーション会議’も‘厚生会議’と改称しました。1939年には日本厚生協会が誕生、それまで自由に行なわれていたリクリエーションを厚生省の管轄下に置くことを狙っていたというわけです。

一方、松本学という人物も「建国体操」なるものを考案して、横浜あたりを中心に流布していきます。その対象者には、日中戦争勃発後、日本に残留した華僑(日本が中国に擁立した傀儡政権を支持せざるを得ない立場に追い込まれましたが、建国体操は「日華親善」を証明する道具となりました)、また芸妓やカフェーの女給など(売春の可能性が高いとして警察から取締りの対象になっていました)の人々も含まれていました。これもまた、日本厚生協会の方針とは異なるとはいえ、もう一つの厚生運動とみなしうるというわけです。

当初、厚生運動とは体操をすることという印象をもたれるような実態だったようですが、「紀元2600年」にあたる1940(昭和15)年には、厚生運動における音楽・演劇・映画などの役割が重視されるようになったようで、そうした実例が紹介されています。松本学の日本体育保健協会は、「紀元2600年奉祝芸能祭」の一環として建国舞踊と建国音頭を作ります。また、秋には皇紀2600年奉祝橿原神宮奉納建国体操大会も行なっています。

1941(昭和16)年には、日本厚生協会が進める厚生運動は、心身の鍛錬がますます重要視されましたが、その一方で厚生運動の芸術的分野の取り組みも拡大されたとして、「厚生音楽」を例にひいて検討が加えられています。また、女性のための厚生運動についても紙面が割かれていますが、協会サイドの幹部は、コーラスやハイキングなどの団体訓練の要素を求めたり、「母性」がどこまでも要求されたりしたことが紹介されています。職業を持つ女性が、仕事時間以外も「厚生」という名目で国家や会社に束縛されようとしていたとの指摘です(たまったものではないでしょうね)。

1942(昭和17)年になると「建民運動」が登場します。その趣旨は、大東亜共栄圏を確立するという聖戦目的完遂の一助として、人口の増殖とその資質の向上を図るということにあり、皇国民族精神のしょう揚、出生増加と結婚の奨励、母子保健の徹底、体力の練成、国民生活の合理化、結核予防および性病の予防撲滅を掲げていました。どうですか、戦争で男子の人口が減り、国全体が貧しくなっていることが窺えますね。かくして状況が悪化してくると、厚生運動も松本学の建国体操の取り組みもやがて先細って行きます。いわば不急不要の論理に勝てなくなったのです。

さらに国立公園が「非常時」における国民の心身鍛錬の場という目的をもったということ、それが現実となったこと、それにともなって温泉など付随する施設の役割も「報国」という面を強調して変化していったことなどがわかります。こうしてまとめて読むと興味深いものがありました。

「『健民』の証明」の章では、戦局の悪化で満洲への移民計画がうまくいかない補充を被差別部落の人たちに求めた例(要するに棄民なのです)や、在日朝鮮人に対する皇民化政策を推進するための団体創設、ハンセン病者への態度、娼婦たちの花街報国(!)や「従軍慰安婦」化について触れられています。

このように、「厚生」と「健民」という2つのキーワードを柱とする本書は、病者・障害者や社会的弱者に対する国家の態度を教示してくれる資料となっています。ただ、私は一つ残念に思うことがあるのです。それは、徴兵検査で第2乙、第3乙にあたる筋骨薄弱者や結核要注意者を「健民修錬所」なる施設に入れて、2ヵ月間の軍隊式生活を通じての鍛錬があったことが、具体的に書かれていないことです。たしかに厚生省が設立されて人間の価値が体力で評価されるようになったとの記述はありますが、やはり「厚生」から「健民」へと移行したあとのことになりますので、知りたかったという感想をもちました。

国家のために自分自身の健康をコントロールしなければいけないとしたら、私は真っ平御免ですけれど、それだけに読了後、かなりずしりと残るものがありました。

【2002年12月30日】


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