受容史ではない近現代日本の音楽史 1900〜1960年代へ
小宮 多美江著
音楽の世界社(現代日本の作曲家・別冊3)  2001  227p
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2000円(税込)
今回は、早速目次のご紹介に入ります。

■目次■
はじめに 2
序章   われわれの音楽の近代とは 9
近代の時代精神とは ― 近代化への一歩で戦争に直面 ― 音楽的な時代区分の指標は何か ― 美意識のちがいからくる様式のちがい ― 西洋音楽史と日本の近代と      
第1章  1900年 滝廉太郎から始める 24
真に芸術といえる歌曲を ― 耳にのこった「半音進行」
第2章  1918年 大正デモクラシーの意味 33
山田耕筰音楽のゆりかご ― ベートーヴェンと出会う ― 1918年とベートーヴェン ― 生きるとは何かの議論の中で
第3章  1925年 作曲運動・その前後 46
東京郊外阿佐ヶ谷に作曲村出現 ― 国民交響楽団がめざしたもの ― 箕作秋吉の執念
第4章  1930年 作曲運動と音楽ジャーナリズム 56
プロレタリア音楽運動も ― 管弦楽を書くことこそ ― タンスマン、チェレプニン来日 ― 世界に窓を開けていた札幌 ― 若き作曲家のはげましに
第5章  1935年 作曲、演奏、批評の共働 79
前代未聞の無指揮者コンサート ― 「オーディション」ひらかれる ― よく立ち働いた評論家 ― 山田耕筰と新興作曲家連盟の接点
第6章  間奏 ―― 日本のベートーヴェンに期待 98
期待が大きいだけ厳しかった批評 ― 作曲家の根本課題と「日本的作曲」 ― 成長期の楽しさ
第7章  1940年 紀元二千六百年から敗戦へ 113
国家的祝祭行事に続いて ― ファシズムの支配体制 ― 日本音楽文化協会作曲部がのこしたもの ― 「山根・山田音楽戦犯論争」の実態
第8章  1945年 堰は切られた 139
晴れて「土の歌」をうたう ― 「新作曲派協会」 ― ヴァイオリン・ソナタのさきがけ ― 戦後初期の音楽の大衆化 ― 逆コースへの流れを放送に見る
第9章  1950年 浮上した作曲の根本問題 161
三つの作品批評から ― 作曲界は如何にあるべきか ― 「実験工房」音楽の実像
第10章 1955年 戦前派と戦後派の拮抗 175
チェレプニン楽派論争 ― 交響曲「シンフォニア・タプカーラ」 ― 時代社会の反映をきく ― 室内楽からひとつ
第11章 1957年 歴史のキーポイントはどこか? 189
武満徹と清瀬保二 ― 「木管とハープのための五重奏曲」第二楽章 ― 現代邦楽の歴史は
第12章 1960年 連続する歴史として見る 207
警職法反対、政暴防法反対の声 ― 日本音楽舞踊会議発足 ― 伝統芸術研究集会ひらかれる ― 「ヴァイオリンとピアノのための二楽章」
おわりに 222

■内容その他■
日本では音楽分野よりも早く、美術や演劇の分野では専門家が組織をもっていました。1926(大正15)年8月の『月刊楽譜』で、音楽分野でも組織化をはかって対社会的に力をもてと解いたのは塩入亀輔だったといいます。当時の若い作曲家、たとえば清瀬保二と松平頼則が小松耕輔の家で出会ったのも、ほぼ同じころだといいます。彼らは親交を深めながら、1930年に新興作曲家聯盟が発足するにいたります。

本書は、1960年ころまでの日本の音楽界の歴史を、作曲を中心に取り扱っています。文章は読みやすく、しかし、歯ごたえがあるのです。

というのも、大づかみな歴史がわかりやすく書かれているだけでなく、「これ、エピソードとしては知ってる」といういくつもの話が、歴史的に実はどういう意味をもっていたのかとまで書かれているのです。たとえば戦前の「新響騒動」について作曲家たちが果した役割だとか、大倉喜七郎がスポンサーになって開催された「オーディション」(作曲のそれです)における作曲家と評論家(もっと言えば音楽ジャーナリズム)との共同作業、戦時中の日本音楽文化協会が残した作曲に関する業績と評価、戦後まもない頃の放送における現代音楽の自由な扱いとその後のレッドパージ、60年安保の頃の音楽界とその後の動きなどなどが挙げられます。

長い期間にわたる調査や取材が生きた著作だと思いました。それだけに、さらっと一度読むだけではもったいない感じがして、あまり間隔を置かずに再読しました。通勤の行き帰りに通読しただけでは読み飛ばしてしまったり、忘れてしまった箇所が、ずいぶん補え理解が深まりました。
【2002年2月16日】


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