戦時下音楽界の再編統合 〜 清瀬保二メモにみる 〜 楽壇新体制促進同盟から日本音楽文化協会へ
戸ノ下達也著  小宮多美江編集協力
音楽の世界社(現代日本の作曲家・別冊2)  2001  171p.    2000円
■はじめに■
数年前、戸ノ下さん、小宮さんとご一緒に飲んだことがありました。その時、話に出たのが今回の清瀬保二メモの存在。これが活字になれば、戦前・戦中の日本の音楽についての関心が以前より高まっているように思えるだけに、どれだけ役に立つだろうか、という内容でした。それが実現しました。いやあ、著者の戸ノ下さん、編集協力をなさった小宮さんのお二方には脱帽です。というわけで、今回は簡単に本書のご紹介をしましょう。

■目次■
序に                                          安部幸明 2
解題・戦時下音楽界の再編統合  清瀬保二メモの時代背景        戸ノ下達也 7
      はじめに 7
      第1章   新体制運動と音楽界 9
      第2章   音楽新体制についての認識 19
      おわりに 27
資料と解説
      資料1   現連解散までの経過メモ 35
      資料2   楽壇新体制運動綱領(筆者不詳手稿・部分) 41
      解説1   楽壇新体制促進同盟の設立まで 43
      資料3   楽壇新体制促進同盟規約(孔版) 50
      資料4   楽壇新体制促進同盟 『會報』 第一号(活版) 52
      資料5   楽壇新体制促進同盟経過メモ 74
      解説2   楽壇新体制促進同盟の経過@ 86
      資料6   音楽評論家結成準備会との懇談会 93
      資料7   評論家との懇談会 95
      解説3   音楽評論家団体結成準備会との提携 98
      資料8   第一回音楽懇談会 104
      資料9   経過 109
      解説4   音楽懇談会 112
      資料10  経過報告(昭和十六年九月四日、解散総会で) 117
      資料11   楽壇新体制促進同盟委員会経過 130
      資料12   経過報告 137
      資料13   定款変更について 140
      資料14   定款協議 145
      資料15   定款変更・定款疑問 147
      資料16   常任委員会(八月三日) 151
      資料17   常任委員会(九月二日) 155
      資料18  促進同盟及評論家準備会解散及日音文協設立ノ手順案
            (筆者不詳手稿)
158
      解説5   楽壇新体制促進同盟の経過A 160
編者あとがき 169















































■内容 その他のメモ■
日中戦争が長引く中で、文化領域においてはジャンル別の組織化の動きが認められました。音楽で言えば、1940(昭和15)年から1941(昭和16)年にかけてのことです。日本現代作曲家聯盟が解散となって楽壇新体制促進同盟ができましたが、この同盟は作曲家、演奏家、教育者団体を組織していきました。少し後では、音楽評論家との提携の道を探って話し合いがもたれたのですが、こうした運動の真っ只中にあって、私的ながら客観的で事実重視をしたメモを残した人がいました。それが日本現代作曲家聯盟の委員長をしていた清瀬保二でした。

本書には、まず解題が付いています。1940年から1941年にかけての楽壇新体制運動の概略は、この箇所を読めば「そうだったのか」と理解が広がろうというものです。従来紹介されてきた話をまとめたばかりでなく、これまで埋もれて取り上げられることのなかった「音楽文化同志会」などの動きなどについても触れられていますので、勉強になります。

次いで(というか、これが資料の本体部分に当たるのですが)資料と解説。いくつかの資料が紹介されるごとに解説が挿入されていきます。資料は全部で18点掲載されていて、そのうち14点は清瀬自身の手になるメモ類です。たとえば資料1に記述がある「第2回幹事会」の項には、演奏家協会についての報告という部分があります。そこには「山田氏を訪問」とか「交渉解決」とか「直ちに警視庁寺澤氏、内務省国塩氏へ報告」といった文字が目に飛び込んできて、「山田氏って山田耕筰?」「交渉解決ってどういう意味だろう?」「直ちに警視庁や内務省の役人を訪ねて報告したのはなぜ?」といった疑問が生じることでしょう。メモだけ読んでいては、こうした点がわからないまま先に進まなければなりませんが、そうした点については解説1を読み進んでいくと答やヒントが用意されているのです。

これらのメモと解説を読んでいくと、一口に音楽家といっても、作曲家、演奏家、音楽教育者らと音楽評論家とのあいだには確執があったようです。また資料4は、清瀬自身の手になるメモではなく、楽壇新体制促進同盟の『会報』第1号を復刻したものですが、この号の最後の方には「同盟日誌」というのがあります。日付と会議の種類が並べられているだけのものです。これだけでも時間的な推移がわかる利点はありますが、欲を言えば、それらの一つひとつについてもっと(あるいはもう少し)詳しく知りたいと思うのが自然というもの。そこはよくしたもので、清瀬が出席した全委員会と常任委員会のメモが残されています。まあ、すべてというわけではありませんが、それでも一人でこれだけメモを残すとは、と驚いてしまいます。

さらに、楽壇新体制促進同盟は発足当初、大政翼賛会と連絡を密にとっていましたが、ある時を境にその主導権が情報局に移っていきます。それがいつ頃からだったのかということは、かなり正確にわかります。その原因は、ある程度の推測を可能にすると思われる示唆的表現が読み取れますが、明確には表現されていません。そうした中で資料10は圧巻で、新団体である日本音楽文化協会設立を間近にひかえた時期の、促進同盟と情報局の緊迫したやりとりの記録などは、臨場感にあふれ、こんな裏話があったのかと驚きを禁じ得ません。

なお解説には、典拠となった資料(戦前の音楽雑誌の記事が多いです)が明示されていますから、これらのコピーなどを入手し、同時に読んでいくことができればなおいいですね。
【2001年6月25日】


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