音楽の花ひらく頃 ― わが思い出の樂壇
小松耕輔著 
音楽之友社(音楽文庫 38)  1952  442p.

■目次■
外遊時代 p.143
少年時代 p.3 巴里以後 p.148
音楽学校時代 p.11 伊太利旅行 p.157
明治38年 p.29 ドイツ其他 p.167
明治39年 p.42 巴里日記 p.199
明治40年 p.55 イギリス p.274
明治41年 p.66 オランダ ベルギー p.293
明治42年 p.74 ドイツ p.295
明治43年 p.79 1923年 p.299
明治44年 p.84 アメリカ p.300
大正元年 p.88 帰朝以後 p.308
大正2年 p.91 大正12年 p.308
大正3年 p.96 大正13年 p.313
大正4年 p.100 大正14年 p.329
大正5年 p.109 大正15年 p.346
大正6年 p.120 附録
大正7年 p.127 英国の音楽 p.365
大正8年 p.134 米国の音楽 p.376
大正9年 p.140 批評と感想 p.401

■内容その他のメモ■
私は本書を古書店で入手し一度読んでいましたが、今回再読して、改めて興味深い本だという感を強くしました。1952年に出版された図書ですから、だいぶ時間も経過し、紙が茶色っぽく変色しかかっています。大事に扱わないと紙がビリッといきそうで、ページを繰るときは普段よりも注意を払いました。

著者、小松耕輔は1884(明治17)年に秋田県に生まれました。当時の村の音楽環境まで書き記しているのには驚きました。1902(明治35)年に上京、1904(明治37)年に創刊された『音楽新報』の編集に、東京音楽学校在籍時から編集を手伝い始め、やがて常連の執筆者の一人になっていったようです。以後、学習院で教えつつ、多くの音楽団体とかかわったり、文学者たちと交流を持ったりしながら、執筆や作曲をしつづけます。

著者は、こまめな性格だったとみえて日記をずう〜っと残しているようです。惜しくも1921(大正10)年1月1日から5月末までの日記をベルリンで紛失したそうです(でも、その時期の記事も、日記風ではないにせよ残されています)。それらをもとに、各章が組み立てられているわけです。

著者は序において「其頃の音楽の有様などを思い出し、今日から見てはつまらない事ではあるが、漸く西洋音楽が起こり始めた当時の事であるから、いろいろ書いてみると案外興味のある事でもあり、又記録しておいた方がよいと思われる事もあるので、其当時の音楽の有様や其他の事をだんだん書き出して見るようになった」と述べています。「其当時」とは、すなわち明治から大正にかけての時代です。

記録されているのは、音楽会(音楽会の名称、会場、演奏者、主なプログラム)、音楽団体の活動(団体の目的や、発起人、後援者なども記録されます)、作家や演劇関係者との交流、個人的な活動(作曲、執筆、演奏旅行など)などです。海外留学時の記載事項には、見学した音楽学校や、会見した音楽関係者(マスカーニやコジマ・ワーグナー)、それにコンサートやオペラに行った記録もあります。国内・国外の記事を問わず、その見聞はとても広く、読んでいて飽きることはありませんでした。

古い本なので、残念ながら入手困難な図書でしょう。年表や索引をつけて、さらにどなたかが解説を付すなどして、復刻してほしいくらいの内容です。

【2000年8月20日記】


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