モーツァルト=二つの顔
礒山雅 
講談社(講談社選書メチエ 182)  2000  254p.

■目次■
第1章 モーツァルトの新しい顔
第2章 「晩年の危機」の真実
第3章 民衆のなかへ ―― 沃野開く最後の年
第4章 「伝記」をつくった人びと
第5章 「演技」とユーモア
第6章 フィオルディリージ五態 ―― 成長する女性の姿
第7章 シンフォニーを聴き直す
第8章 目録の謎
第9章 モーツァルトとバッハ
補章  本書のためのCD選
ブック・ガイド
あとがき
索引

■内容その他のメモ■
私はモーツァルトが苦手です。不思議なことに、その割にはCDも持っていますし、コンサートでも作品を聴いているのです。そんな私が、モーツァルトに関する書物を読みました(今年の梅雨は長いかも??)・・・

第1章は、本書全体の導入の役割を果たしています。第2章から第4章までは伝記の問題を、第5章から第7章までは作品論を取り扱っています。第8章では、モーツァルトの作品番号と作品目録にまつわる問題を取り上げ、第9章では、バッハとモーツァルトの関係を歴史的な事実を踏まえつつ両者の違いに関する意見がまとめられています。

苦手意識も手伝って、私はモーツァルトについて自ら進んで正確に知ろうとしたことは、あまりなかったといえます。ですから、私が持っていたモーツァルト像は、いまだに純心無垢な子どものようなモーツァルト像に限りなく近く、その一方でその像に対する反発めいた感情を抱いてきました。第2章から第4章までを読んで、まず、その点がスマートに修正されました\(^o^)/ やはり、正確な知識や情報をもつことは、好みの問題とは関係なく大事なことだと悟りました(汗)。

作品論のなかで、第6章がもっとも印象的でした。『コシ・ファン・トゥッテ』の登場人物、フィオルディリージがオペラのなかでどう成長していったかを取り上げたを考察していきます。幸い1994年にモーツァルト劇場による日本語上演を見ていましたので、説明の箇所はもちろん、述べられている意見も、ステージを思い出しつつ肯きながら読むことができました(このステージ、日本語だったことが私にとって幸いでした)。

第7章には、モーツァルトが生まれた頃、シンフォニーはオペラの序曲から自立をはじめたばかりで、イヴェントとの結びつきが強く、モーツァルトのウィーン時代に交響曲の拡大と個性化がはかられたとあります。私には、そうなってからの交響曲は、さすがに面白く、この時期のものに演奏が偏るのも仕方ないかなと思いながら読みました。

第8章、第9章も含蓄豊かで、近い将来使い慣れたケッヘル番号の一部が変更される可能性がある部分など、具体的に何の曲だろう、それにどうして、と身を乗り出して読めましたよ。
【2000年5月21日記】


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