苦悩する落語 ― 二十一世紀へ向けての戦略 ―
春風亭小朝
光文社(カッパ・ブックス)  2000  207p.

■目次■
はじめに
第1章 新人の頃
第2章 落語界改造計画
第3章 二十一世紀の落語
第4章 十年後の落語界
あとがき

■内容その他のメモ■
本書の目的は、苦悩を続ける落語界が21世紀へ向けて何をしたら良いかを具体的に提案することにあります。その提案のもとになるものは、ほかならぬ小朝さんの噺家人生にありました。

まずビックリしたのは現状です。21世紀を目前に控えて、いま噺家たちは、さまざまな不安をかかえて疲れ果てているというのです。50過ぎの噺家たちのほとんどが、なんらかの持病に苦しみ、仕事が途切れることを恐れ、予想のつかない未来に漠とした不安を感じているというわけです。楽屋では、そこにいない噺家さんを悪く言うことが横行しているともいいます(悪く言いあっている噺家さんの誰かがその楽屋にいなければ、逆に悪く言われる対象になるわけです、当然ながら)。結構ひどい現状なんですね。知らなかった・・・。

小朝さんの前座時代は、楽屋のもろもろの仕事をこなし、時間ができると自分の練習をするなどして、下っ端としての夢を大いに広げていたそうです。そして、この時代のホール寄席は、当時の名人たちがレギュラーで出演するため若手がなかなか出演できなかったといいます。そういう会の前座は身がひきしまり、どれだけ栄養を吸収したかわからないみたいです。今は、二つ目や真打にとって出演したいと思う会がなくなってしまったといいますから、落語界全体にとって気の毒な話です。

では、どうしたら落語界の前途は開けるか? 実にいろいろな具体案が書いてあるのですが、各席亭が、今年はこの二つ目を応援するぞ、オー! と色を鮮明にし、トリではなく仲入りを大事に考えたらどうか、なんていうのは新鮮でした。歌舞伎界では、ジュニアが主役を張って公演を打ちますね(今年1月の新橋演舞場がそうでした!)。落語界ではどうでしょうか? 期待されるジュニアがいるかどうかが問題ですが(ちょっと厳しいかな?)、場数を踏むうちに上手くなるとすれば、宣伝を上手にして、人を集めるのも悪くないですね。そんな時に、先代に化けた先輩噺家が出てきて、ジュニアを叱咤激励したり、いい意味で茶化したりしても面白いかもしれません(←この箇所、調子に乗った小関案)。

小朝さんの古典は、時にかなり思い切って現代風にアレンジされています。このあたりの考えについても、あまり手を加えずに演じたほうがいいもの(たとえば「初天神」)とそうでないものを分け、噺に多面的な光を当てなおしてみろと言います。なるほど、目からうろこ。

本書は暴露本ではありません。ですが、文章のあちらこちらで実名が山盛り状態で出てきます。いいことです(笑)。独演会では茶化しているように聞こえる先輩噺家たちに対しても、きちんと敬意を表していることがわかりました。

本書にやや欠けていると思ったことは、私たち聞き手の分析かなと思いました。たとえば、矢野誠一さんという方が書いた『落語読本 ― 精選三百三席 ―』(文春文庫 1989)には、噺家と聞き手のスリリングなエピソードが紹介されています。たとえば「大工調べ」の項。この噺は、小朝さんの師匠、春風亭柳朝が若い頃得意としていた演目だったそうで、それを知っていた年寄りの客が柳朝が出てくるや「大工調べッ!」と声をかけ、柳朝が得々として「大工調べ」を話し始めたとたん、その客は席を立って、これ見よがしに出て行ったというのです。同じ噺ばかりやっていてはいけないという戒めだったのかもしれないと著者は述べておられます。こんな関係が今後可能なのかどうかも含めて、読みたかったですね。
【2000年5月8日記】


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