近代絵画史 (上)(下)―― ゴヤからモンドリアンまで
高階 秀爾著
中公新書 1975 192p, 216p.


■著者と本書について■……■目次■……■内容その他のメモ■

■著者と本書について■(1999年12月9日)
1932年生まれの著名な美術評論家の、1975年の著作です。目次にあるように、ゴヤからモンドリアンまでを守備範囲としていて、作家一人ひとりについての評伝ではなく、美術史の流れの中でどんな作家がどんな位置を占めたかがわかるでしょう。「序言」を読むと、ある芸術作品を理解するのに、知識も理屈もいらないという立場もあるにちがいないが、著者・高階氏はピカソの《ゲルニカ》から逆のことを教わったといいます。つまり、《ゲルニカ》が描かれたときの歴史的背景と、「青の時代」からキュビズムの実験を経て30年以上にわたって続けられたピカソの造形的な探求を重ね合わせたとき、《ゲルニカ》はいっそう偉大な、悲劇的な美しさを持ったものとして、著者に語りかけてきたというのです。
私も、そんな美術作品とそんな出会い方ができたらいいな、と思って読みました。1996年のことです。少し時間がたちましたので、再読しながらノートをつけていきましょう。

■目次■(1999年12月9日)
序言 (上 p.1-2)
第1章 近代絵画の始まり (上 p.2-16)
第2章 ロマン派の風景画 (上 p.17-32)
第3章 新古典主義とロマン主義 (上 p.33-47)
第4章 写実主義の擡頭 (上 p.48-62)
第5章 近代性の追及 (上 p.63-81)
第6章 印象派の登場 (上 p.82-97)
第7章 印象派の画家たち (上 p.98-112)
第8章 印象主義の超克 (上 p.113-127)
第9章 新印象派 (上 p.128-143)
第10章 象徴主義と綜合主義 (上 p.144-160)
第11章 ゴッホの時代 (上 p.161-176)
第12章 モンマルトルの画家たちとナビ派 (上 p.177-192)
第13章 世紀末絵画 (下 p.2-17)
第14章 ドイツ表現主義 (下 p.18-33)
第15章 マティスとフォーヴィズム (下 p.34-49)
第16章 フォーヴの擡頭 (下 p.50-66)
第17章 ピカソとキュビズム 擡頭 (下 p.67-81)
第18章 キュビズムの画家たち擡頭 (下 p.82-97)
第19章 幻想の系譜 (下 p.98-113)
第20章 エコール・ド・パリ (下 p.114-128)
第21章 機械文明への讃美と反撥 (下 p.129-145)
第22章 シュルレアリズム (下 p.146-162)
第23章 バウハウスとその周辺 (下 p.163-178)
第24章 抽象絵画への道 (下 p.179-194)
あとがき (下 p.195-197)
参考文献 (下 p.198-200)
索引 (下 p.216-201)

■内容その他のメモ■
◇第1章〜第3章◇ (2000.02.07記)
近代絵画の始まりは19世紀後半の「印象派の運動とともに」と言われるが、先輩画家のクールベやマネ、さらにはロマン派の時代にまでさかのぼって考える必要がある。古典主義は万人にとって共通な理想の美を目指したが、ロマン主義は美の規範を否定し、それぞれの芸術家の個性に根ざしたさまざまな美を生み出した。
近代絵画の先駆者ゴヤ しだいに宮廷画家としての地位を築いた前半生に対し、後半生では時代の告発者に、さらに版画作品にみられる不気味な幻想家変貌していくさまは「近代」というドラマの幕開けにふさわしい。1792年、ゴヤは『美術教育についての報告書』を王立サン・フェルナンド美術アカデミーに提出し、その中で「規則」重視のアカデミーに対し、制作における「自由」を主張した点で画期的。芸術における「人権宣言」ともいうべきものだった。
ロマン主義の持つ「現実逃避」の傾向は、自然をながめつつ自己の心情を投影してそれを表現しようとするようになった。この新しい自然感情は、薄暗いドイツの森や霧に包まれたイギリスの湖畔からやってきた。
ターナー 従来の風景画と違って、自然の中に人間の存在を越えた強大な(しかも悪意に満ちた)力を見ていた。人間の理解を越えた不気味な自然が登場したときから「近代」が始まったのだとすれば、ターナーは紛れもなく「近代」の先駆者の一人といえる。
コンスタブル 神空にしろしめす平和な世界。印象派の見た世界に近く、事実、19世紀のフランス絵画(印象派の母胎となった)に最も大きな影響を与えた画家となった。
フリードリッヒ 自然は永遠に変わらぬもので「観察」ではなく「帰依」する対象だった。自然そのものの中に神を見ようとする態度はドイツ的。
新古典主義とロマン主義 前者は、絵画様式としては古典古代を手本として「模倣」し、明快で安定した構図を生んだ。ダヴィッドは、その代表的な画家で、ナポレオンの権威を背景に美術行政の指導者としても活躍した。一方、後者の代表的な画家としてはジェリコーがいて個性的な美を追求したが、若死にした。
アングルとドラクロワ 1824年のサロンに出品された、アングルの『ルイ13世の誓い』とドラクロワの『キオス島の虐殺』によって、新古典主義とロマン主義の対立が引き継がれることとなった。アングルの場合、ダヴィッドが英雄主義に立ち「社会のための芸術」を提唱したのに対し、純粋に「美のための芸術」を追求した。ここに新古典派の変容がみてとれる。ドラクロワは、文学作品から霊感を得たり、豊かな色彩を使うことによって、周囲からロマン主義の旗手とみなされるに至った。
◇第4章〜第5章◇ (2000.03.02記)
新古典主義美学においては、歴史画や神話画は「高貴な」ジャンル、肖像画や風景画のように目に見える世界をそのまま写し出したジャンルは「低俗な」ものとみなされていた。しかし、フランス革命以後、社会的、政治的新興勢力として登場した市民階級の趣味を反映して、風景画・肖像画への関心は高まった。そして1855年、クールベがクローズアップされ、レアリスムという語が定着するようになる。もちろん、クールベ以前にも写実主義的な表現はあった。
コロー、ミレーとバルビゾンの画家たち、ドーミエ コローは、ほとんど風景画に専心した(晩年に人物画も)。長い生涯のあいだにフランス絵画を新古典派から印象派の入口までもってきた人物。ミレーとバルビゾンの画家たちは17世紀オランダの系譜をひく絵画を描いた。同時に平凡な自然の中に無限のニュアンスと固有の性格を認め、追求し、印象派への道を準備した。ドーミエは都会の最下層に生きる庶民に眼を向けた。社会に対する強烈な批評精神をもつ。
クールベの近代性 『石割人夫』(焼失)のように、社会の底辺にいる労働者の姿を真正面から取り上げた。「眼に見える現実」だけを描くその姿勢は、主題やモティーフの扱い方において、肖像画や風景画が宗教画や歴史画よりも「低いジャンル」だとする公式の美学に対する挑戦を意味した。
マネ、ドガ マネは、絵画修行では自ら伝統的なものを求めた。『草上の昼食』『オランピア』などは激しい非難を浴びた。印象派の画家たちや20世紀の主要な芸術運動にしても、最初は激しい非難を浴びた。時代の趣味や芸術家の創造とのあいだの食い違いも、このころから始まったといえる。ドガは、人間や動物の身体のメカニズムを一層的確に捉えようとした。思いがけないポーズや新しい視覚の発見。



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