『音楽公論』記事に関するノート

第2巻第10号(1942.10)


レコード批評をめぐる論争/寺西春雄『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.24-27)
内容:『レコード文化』誌上で、音楽評論家・園部三郎とレコード批評家・志賀英雄がレコード批評の問題に関連して論争をしている。それについて書くよう、依頼を受けた。しかし読んでみると、非科学的であるとかマルクス主義的であるとかいう種類の応酬に堕していて、実のない議論になっている。呆れた(←寺西)。
【2000年4月16日記】
聴衆論<座談会>片山敏彦 野村光一 園部三郎 山根銀二『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.28-54)
内容:音楽の営みのなかにある聴衆の立場の変化について考えたい。園部が、音楽が氾濫しているなかで、聴衆は何か[音楽的に]高いものを求める気持ちがあるのではないか? 片山は、偶然ラジオで聴くベートーヴェンの弦楽四重奏曲などに心をひきつけられることがある。深い喜びをほしがっているように思う、という指摘が続く。野村は、ラジオやレコードで音楽が広められている。それは社会政策、文化政策的なもので、聴衆の音楽に対する要求にしたがっているものではない。山根は、音楽に対する要求にしたがって広まったわけではない、と。一方、山根は音楽に対する要求が増しているのは疑えないと言い、野村もそれは否定しないかわり、音楽は無難な慰安であるから積極的に与えられているが、日本の民衆がどれだけ本当に音楽を求めているかは疑問だと表明する。/日本人はベートーヴェン好きだが、創作との関係で見れば、一部には単にベートーヴェンの模倣に終わる終わっている場合があるかと思えば、反対にベートーヴェンは古いと抹殺し、やたらに現代的な方向に走る者もいる。/片山・園部は、聴衆は高められてホッと元気づく音楽を欲していると言うが、野村は高い,低いではなく純粋なものに憧れていると主張。/パリなどでは聴衆は自分の感情を演奏家に対して露にするが、日本では違う。学校の教育においても人真似ををする演奏家を多く輩出する。これは日本が西洋音楽を受容して日が浅いことと関連している。ひとえに演奏家の技術養成と人格とを要求するだけの話だ。為政者にも立派な音楽が一国の文化に対して大きな影響力を持つことを理解してほしいと結んでいる。
【2000年4月21日記】
楽壇消息『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.55)
内容:第2回ビクター管弦楽曲募集 第1回募集(情報局後援)の結果は市川都志春、李健雨、須賀田儀太郎が佳作入選し、1942年9月30日に軍人開館で発表会が催される予定。/第2回募集について。1)わが国音楽文化の向上および宣揚に資するための管弦楽曲(交響曲、交響詩曲、組曲)。2)審査員=清瀬保二、野村光一、橋本國彦、堀内敬三、増澤健美、諸井三郎、山田耕筰、山根銀二。3)賞金。審査委員会で受賞に値する認められた作品に対し、金2000円贈呈。佳作作品に対し、各々金500円贈呈。4)応募締切は1943年4月末日。/第2回軽音楽、懸賞募集 日本ビクターは第2回軽音楽募集を行なう。1)健全明朗で抒情風の曲を求める。2)管弦楽の編成は自由だが、15名程度の演奏者に止めること。3)演奏時間は3分。ただし10インチレコード[SP盤 ― 小関]片面に吹き込み可能な範囲内。4)賞金は1等=金300円、2等=100円。5)審査主任 橋本國彦、服部正。5)楽譜は総譜とピアノ用スケッチ2種を提出のこと。6)応募締切は1943年2月末日。/室内楽研究会開催 ビクター普及部では松本四重奏団の演奏により室内楽研究会を開催する(日本音楽文化協会後援)。日時は、1)1942年10月23日(金) 講師=野村光一、曲目=ハイドン「セレナード」、モーツァルト ヘ長調。2)11月2日(日) 講師=山根銀二、曲目=ベートーヴェン ヘ長調 作品135。/11月30日(月) 講師=園部三郎、曲目=ブラームス イ短調、ドビュッシー 作品121。会場は、いずれも有楽町の電気倶楽部講堂。
【2000年4月23日記】
音楽紀行・3 ― シェーンベルク訪問記京極高純『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.56-62)
内容:今回は1930年3月27日付、加藤鋭五発島津久大宛私信をそのまま掲載したものである。加藤鋭五は京極高鋭の旧姓名、島津は当時ロンドンの大日本帝国大使館勤務。/1930年3月13日、京極はベルリンに到着した。ヴィーンで貰ってきた紹介状はもっているので、さっそくシェーンベルクを訪問すべく住所を探し始めた。電話帳で見つけた住所に、3月25日午前11時頃、同名異人かもしれないと不安をもちながら訪問してみると本人だった。会ってみると背の高さ5尺2、3寸で、想像していなかったくらい小さかった。シェーンベルクは最も崇拝する作曲家としてバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンを、近代の作曲家ではマーラーとマックス・ハーガー[ママ]を挙げた。指揮者ではマーラーとフランクフルトのハンス・ロスボー[ハンス・ロスバウト Hans Rosbaud のこと]。この日、京極は会見の始めで照れてしまい、ドイツ語がうまく出てこなかったという。/なお、京極はこの手紙の別の箇所で、R.シュトラウス、E.コルンゴルト、E.クレシェネック[ママ]らと会見したと書いてある。
メモ:シェーンベルクと会見したのが1930(昭和5)年とある。本連載の第2回では、コルンゴルトと会ったのが1931(昭和6)年となっている。勘違いか誤植でもあるのだろうか? どちらが正しいデータかわからない。
【2000年4月25日記】
上記メモについて、1931(昭和6)年が正しいことと、上の内容にあるマックス・ハーガー[ママ]はマックス・レーガーであることが、第2巻第11号の音楽紀行追記によって判明した。
【2000年5月15日記】

ピアノ協奏曲第三番(読者評論)元塚良馬『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.76-77)
内容:1942年9月2日午後8時より、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37」がラジオ放送された。藤田晴子(ピアノ)、日本交響楽団、尾高尚忠(指揮)。第1楽章の冒頭で音の濁りを来したが、カデンツァのあたりからようやく調子が出てきたようだ。第2楽章は鮮明な音で見事に、第3楽章は力量を充分発揮したようだ。
【2000年5月1日記】
◇松隈陽子独奏会(読者評論)高杉並雄『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.77)
内容:1942年6月6日、日比谷公会堂で初のリサイタルを催した。取り上げた作曲家はショパンとリスト。具体的な作品名は、わからない。
【2000年5月1日記】
満洲建国十周年慶祝音楽使節団報告記 (読者評論)/新井潔 (『音楽公論』第2巻第10号1942年10月 p.78-90)
内容:1942年8月5日。18:00、東京駅前広場で壮行会。20:00、団長・乗杉校長以下137名の使節団、東京駅を出発。男子生徒は黒の制服に戦帽、ゲートル、リュックサック、女子学生は水色の基準服にリュックサック、職員おより先輩は国民服を着用。8月6日。7:00、大阪着。三宮に向かい神戸県立高女で少憩。12:00、神戸港より「熱河丸」で出帆、船上で昼食。19:30頃、二等の食堂でブラスの練習。21:00、点呼があり就寝。8月7日。6:30、朝礼。7:00、門司に入港。12:00、門司を出帆。午後はコーラスや遊戯など。夕食後は、藤井典明指揮でア・カペラの練習。8月8日。7:30、上甲板で大詔奉戴日の式を行なう。午後、ブラスの練習。17:00頃からア・カペラの練習。20:00頃から点呼、上陸後の注意あり。8月9日。10:00頃、大連の埠頭に到着。上陸後、貸切の市電で忠霊塔に向かい「君が代」「海ゆかば」を斉唱。15:00、旅館に到着。8月10日。9:30頃、大連を出発。11:00すぎ旅順に到着。市長招待の午餐の席に出席。午後は白玉山頂の納骨祠に拝礼。18:00〜19:00、「軍慰問演奏会」(於・昭和館)[←予定外のコンサート 小関] 国民儀礼 | 合唱「大日本の歌」(山本力指揮 ブラス伴奏) | 独唱「ラ・スパニョーラ」ほか3曲(女子生徒2人) | ア・カペラコーラス「水師営の歌」「大島節」「雉子が鳴く」「春の雪」「愛国行進曲」(藤井典明指揮) || 夜の部(一般公開)於・昭和館 国民儀礼 | 合唱と管弦楽「満洲大行進曲」「大日本の歌」(橋本國彦作曲指揮) | 「交響曲 ニ調」 (橋本國彦作曲) | アルト独唱「シューベルト小夜曲」ほか(千葉静子独唱、伊達純伴奏) | ピアノ独奏 リスト2曲(伊達純) | 「海道東征」(第1ソプラノ=山内秀子、第2ソプラノ=加藤晶子、テノール=酒井宏、バリトン=藤井典明、橋本國彦指揮)8月11日。9:00、旅順を出発し大連へ。12:00、ヤマトホテルで市長招待の午餐会に出席。演奏会昼の部(傷病軍人軍慰問および女学生対象 於・協和会館) 国民儀礼(合唱指揮・鈴木正三) | ア・カペラコーラス(藤井典明指揮) | ピアノ独奏= リスト(伊達純) | テノール独唱「城ヶ島の雨」ほか(酒井弘) | 「海道東征」(金子登指揮 ソロ=生徒) || 演奏会夜の部(一般公開 於・協和会館) 国民儀礼 | 「交響曲 ニ調」 | ソプラノ独唱「母の歌」「田植歌」(山田秀子) || 8月12日。14:00から演奏会昼の部(傷病軍人軍慰問および女学生対象 於・協和会館) 国民儀礼(合唱指揮・鈴木正三) | ア・カペラコーラス(藤井典明指揮) | ヴァイオリン独奏「スペイン舞曲」ほか2曲(岩崎吉三独奏、田村宏伴奏) | ソプラノ独唱「ラ・ボエーム」ほか(山内秀子独唱、伊達純伴奏) | ベートーヴェン「交響曲第5番」より(渡辺暁雄指揮) | 「海道東征」(藤井典明指揮 ソロ=生徒) || 演奏会夜の部(一般公開 於・協和会館) 国民儀礼 | 「交響曲 ニ調」 | アルト独唱(千葉静子独唱、管弦楽伴奏) | 「海道東征」(橋本國彦指揮) || 大連にもオーケストラと音楽学校がある。8月13日 [本文には8月14日が二度出てくる。その始めのほう]。午前、新京へ向けて移動開始。暗くなりだした頃、新京到着。8月14日。8:30、全員バスで各機関へ挨拶まわりにでかける。12:00、ヤマトホテルで、満日文化協会、満洲楽壇協会、山葉洋行、田邊楽器支店、同聲会支部合同の午餐会。 慰霊日につき、演奏は無い。8月15日。 19:00より「国都公式演奏」(政府の招待者ばかりが対象)。「満洲大行進曲」「海道東征」などを演奏。8月16日。9:00より演奏会昼の部第1回(大衆慶祝演奏 於・大同公園) 慶祝儀礼。両国歌。(鈴木正三指揮、ブラス伴奏) | 吹奏楽(山本力指揮) | 独唱(女子生徒2人) | ア・カペラコーラス | 「海道東征」(橋本國彦指揮) || 14:30より演奏会昼の部第1回[ママ](一般公開 於・記念公会堂) 慶祝儀礼。両国歌。 | 「交響曲」 | 独唱・千葉静子、伴奏・伊達純 | ヴァイオリン独奏・岩崎吉三、伴奏・田村宏 | 「海道東征」(橋本國彦指揮) || 演奏会夜の部 慶祝儀礼。 | 「海道東征」(橋本國彦指揮) | 「交響曲 ニ調」(橋本國彦指揮) || 8月17日。9:30頃、バスで満映見学。正午から中央放送局で山内、岩崎、酒井三氏のソロの放送があったという。 午後、演奏会昼の部。詳細は不明。演奏会夜の部 慶祝儀礼。 | 「海道東征」(橋本國彦指揮) | 「ピアノ協奏曲」(馬煕順) || 演奏終了後すぐに、夜行に乗る。
メモ:続編は第2巻第11号に掲載(次号分はこちら)。
【2000年5月6日記】
◇ラヂオ短評露木次男『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.100-101)
内容:1942年8月9日。ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 op.53 "ワルトシュタイン"」を、井口基成のピアノ独奏で。8月17日。モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219」を、西川満枝(ヴァイオリン)、東京交響楽団、グルリット(指揮)で。8月20日。新日本邦楽を目指して作曲された箏曲集を放送した。内容は、1)伊藤松超「箏尺八二重奏曲」 2)中能島欣一「三つの断章」 3)斎藤松聲「海辺の夕」 4)宮城道雄「小曲朝」 5)久本玄智「箏曲ハ短調」。総体に、洋楽を取り入れたのはいいが消化されないで耳障りになり、せっかくの箏の味を損ないことおびただしい。箏のような原始的な楽器では現代人の理念を表現できないのではなかろうかと考えられる。まず新しい楽器を想像することが先決問題ではなかろうか。8月27日。山田和男作曲「小舞踊組曲」とモーツァルトのセレナードを日本交響楽団が演奏[モーツァルトの、どのセレナードかは不明]。指揮者は記載されていない。モーツァルトの美しさは音の組み立てに、山田の美しさは音の彩色にあるとし、音楽の本質はモーツァルトの方だという。8月31日。山本恵子(ヴァイオリン)と松隈陽子(ピアノ)。音色、音程未だし、と簡潔に記している。演奏曲目などは記載なし。
【2000年5月3日記】
◇編集後記『音楽公論』 第2巻第10号 1942年10月 p.106)
内容:去る1942年9月14日の松竹交響楽団定期演奏会を皮切りに、秋の音楽会シーズンが始まった。多くの演奏会が催されるようだが、大東亜戦争下の皇軍の労苦を偲ばなければならない。/座談会は「聴衆論」を扱った。出席者の一人、片山敏彦氏は第一高等学校教授で文芸評論家である。/盟邦満洲国の建国10周年を慶祝するため、去る8月5日、東京音楽学校の職員・生徒からなる137名の慶祝音楽使節団が東京を出発し、満洲で二十数回の公演を行い、8月29日無事帰京した。同校生徒新井氏の報告記が入手できたが、相当の分量なので、やむなく2回連載とした。
【2000年5月9日記】


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