第107回: 倉知緑郎・古澤淑子 回顧演奏会(王子ホール)

2006年4月16日(日)14時30分から標記の演奏会がありました。この日の開場は13時30分と少々早く、それはホールのホワイエで二人の写真や倉知緑郎の自筆譜、古澤淑子に寄せられた作曲者献辞つきの楽譜、演奏会プログラムなどが展示されていて、お二人の回顧演奏会にふさわしい場が用意されていたためでした。当日のプログラムは

1.カンプラ  “あなた方の命の春を与えなさい”(カンタータ《エベ》より)
  リュリ   “アティスは幸福すぎます”(オペラ悲劇《アティス》より)
  ラモー   “お出でほほえむ青春よ”(オペラバレー《エベの祭典》より)

          ソプラノ:野々下由香里 クラヴサン:土肥瑞穂
2.倉知緑郎  クラリネットのための三つのモノディ(1997)
          クラリネット:古澤裕治
3.倉知緑郎  フルートとピアノのための組曲(1947,1949)
          フルート:永井由比 ピアノ:古澤幹子
4.倉知緑郎  クラヴサンのための三つの小品(1948,1949,1999)
          クラヴサン:本間みち代
5.倉知緑郎  ピアノのためのブルレスク(1948)
          ピアノ:井上二葉
6.プーランク 《バナリテ(アポリネール詩集)》より
         <オルクニーズの歌><ヴァロニーの沼地><パリへの旅>
  高田三郎  《パリ旅情(深尾須磨子詩)》より
         <さすらい><パリの冬><市の花屋>
  倉知緑郎  《春の野に》(山部赤人の仏訳和歌による)

          メゾ・ソプラノ:鈴木昌子 ピアノ:井上二葉
7.倉知緑郎  <海よ>(トラン・ヴァン・トゥン詩 1948)
  グノー   <春の歌>(トゥルネー詩)
  アーン   《灰色の歌(ヴェルレーヌ詩)》より
        <秋の歌><ひそやかに>
  ドビュッシー<星の夜>(ド・バンヴィル詩)

          テノール:三林輝夫 ピアノ:井上二葉

というものでした。ところで、コンサートの感想を述べる前に、この日の「回顧」の意味を明らかにしておきましょう。

倉知緑郎は1913年生まれ。古澤淑子は1916年生まれ。二人とも1937年に渡仏し、倉知はエコール・セザール・フランクに学び、古澤は国立パリ音楽院に入学します。二人は42年に結婚しますが、戦況が悪くなり44年にベルリンを経てスイスへ移ります。二人は戦後、ジュネーヴで音楽活動を始めたそうですが、倉知はやがて日本領事館に職を得ます。一方古澤は、その本拠をパリに移します。そして1952年、古澤の日本への帰国を機に二人は離別。日本での古澤は演奏活動のほか教育活動に力を入れました。そして1972年に二人は再婚しスイスへ居を移します。その後日本での演奏活動を終えた古澤は、倉知とともにフランスのオートサヴォア地方のエヴィールという地へ移ったというのです。2001年2月古澤が、同年11月倉知が亡くなり、今年はそれから5年経つというわけです。

ただ、あえて書かせていただくならば、倉知緑郎という作曲家は有名な存在ではありませんでした。当日配布されたプログラムには、ふとしたきっかけで倉知緑郎について調べ始め、ついにはフランスに住んでいたご本人に会いに出かけ、夜が更けるのも忘れて話し合ったという戦後生まれの音楽研究者の文章があり、興味をそそられました。いまの日本の音楽研究者のなかには自国の戦前戦後をつうじての音楽史を正確に捉えて評価しよう、作曲家について言えば有名なひとばかりでなく、あるいはその時代の先端をいった作曲スタイルばかりを追うのではなく、多面的に掘り起こして捉え直そうとする動向があるように思います。倉知緑郎の再評価が今回のようなかたちであらわれた要因の一つにはこうしたことがあるにちがいありません。そうした意味からも、とてもよい「回顧」の機会になったのだと思いました。

フランス古典歌曲から始まり、倉知の室内楽作品を楽しみ、倉知作品を含む日仏の歌曲というプログラムは、実に自然な流れをもっていました。それは倉知作品がフランス的な書法によりながら聴きやすい作品に仕上げられていながら、自分の世界を表出していたからにほかなりません。倉知作品の中では、《クラリネットのための3つのモノディ》に惹かれるものがありました。演奏面では、野々下さんの歌唱と井上二葉さんのピアノを聴いて幸福感に浸ることができました。

【2006年4月24日】


トップページへ
通いコン・・・サートへ
前のページへ
次のページへ