第106回:オーケストラ・ニッポニカ第9回定期演奏会(紀尾井ホール)

去る3月12日午後、標記のコンサートを聴きに行きました。第8回定期につづく今回のコンサートは「昭和9年の交響曲シリーズ<その2>」とタイトルが付けられていました。昭和9年、すなわち1934年には諸井三郎の《交響曲 ハ短調》、貴志康一の《交響曲 仏陀》、それに大澤寿人の《交響曲第2番》という日本人作曲家の手による3曲の交響曲が海外で作曲され、同年あるいは翌年、現地で初演された、その画期となった年だったというわけです。前回は諸井三郎の《交響曲》をメインに据えたプログラムでしたが、今回は大澤寿人交響作品個展というかたちをとって彼の《交響曲第2番》を含むプログラムが実現しました。その内容は以下の通りです。


大澤寿人:交響曲第2番(1934)

大澤寿人:「“さくら”の声」ソプラノとオーケストラのための(1935)★★

大澤寿人:ピアノ協奏曲第2番(1935)

指揮:本名徹次  
ピアノ:三輪郁  
ソプラノ:腰越満美
★★
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ



ニッポニカが以前とりあげた大澤の作品といえば《ピアノ協奏曲第3番》で、2003年のことでした。その時は、ラヴェルとプロコフィエフあたりの影響が強く反映しているように感じられるコンチェルトを新鮮な驚きをもって聴いたのでしたが、今回のプログラムは1935年11月8日にパリで、大澤自身がコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮して行った演奏会から、大澤作品だけ取り出して再現した演奏会でもありました。

大澤は神戸生まれ。1930年に渡米し、ボストンのニューイングランド音楽院に学びますが、亡命してきたシェーンベルクのレッスンも受けたといいます。さらに1934年、パリのエコール・ノルマルに入った経歴をもっています。作曲のみならず、オーケストラの指揮にも長けていたようで、帰国後、新交響楽団や宝塚交響楽団を指揮して自作を紹介しましたが、当時の日本のオーケストラの技量で大澤作品の真価を十分に伝えるのは難しかったようですし、聴衆や楽団の理解力も大澤作品を受けとめることは困難を極めたようです。その結果、大澤自身、シリアス音楽の作品を書くことを諦めたようです。この日のコンサートで配布されたプログラムの解説は、今回聴いた曲目の解説もさることながら、大澤の生涯についてこれ一冊があれば基本的なことがらがわかる力作となっていました。歓迎!!

3曲とも興味深く聴いたのですが、私にとっては《交響曲第2番》と《ピアノ協奏曲第2番》は機会を捉えてまた聴いてみたい作品となりました。特に前者は、第1楽章の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの対話とか、ホルンが重要な箇所を受け持っていたりするあたりに特徴的な要素があるように思えたり、第2楽章には2つのアリアと2つのトッカータが交互に登場し、それぞれの部分にコール・アングレ、ヴァイオリン、2つのクラリネット、フルート+ファゴット+ヴィオラ+チェロなどの独奏楽器や独奏楽器群が登場するなどの特徴ももっています。ですから全体としては面白いと思いながら聴きながらも、1回聴いただけですんなり理解できるものではなかったのです。後者の第1楽章は独奏ピアノとオーケストラがそれぞれに違った動きをしていました。このように見てくると、大澤の音楽上のアイディアがどれほど豊かだったかを思い知らされます。そうした中にあって《“さくら”の声》は独唱者のヴォカリーズで始まり、途中から日本古謡の《さくら》が聞こえてくるというもので、短い曲だったということもあって親しみやすい1曲でした。

今回聴いた3曲が、いずれCD化されるといいなと念じつつ、会場で会った知人たちとああだ、こうだと話し合いながら帰路につきました。
【2006年3月18日】


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