第103回: 第7回とれふ・ぷんくとコンサート 〜林光と歩く〜 (東京文化会館小ホール)

10月27日(木)、林光さんののヴァイオリン作品ばかりを集めて一夜のコンサートが催されました。コンサート情報誌によれば、演奏される作品のなかには《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー》と《七十二丁目の冬》という2曲が含まれていたのですが、これらは1969年頃にはLPレコードが出ていました(三善晃さんの《ヴァイオリン・ソナタ》とのカップリングで)。それは私のお気に入りのLPのひとつで、幾度となく聴いたものですが、最後に聴いたのは恐らく四半世紀ほど前になると思います。そんなわけで、この2曲が聴けるならば行ってみようじゃないのというノリで、出かけました。当夜のプログラムの全体は、

ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー
七十二丁目の冬
小品六つ
(1.蓮の花 2.恋唄 3.三月 4.かぞえうた 5.からす 6.草刈り)
ソナタ 独奏ヴァイオリンのための
(1.ラビリンス 2.エア 3.チャコーナ・ヴィーヴォ)
目次、ソナタ風の1楽章 ヴァイオリンとピアノのための (委嘱新作・世界初演)

山田百子(ヴァイオリン) 寺嶋陸也(ピアノ) 林光(お話)

というもので、作曲年代順に演奏されました。また、この日配布されたプログラムには寺嶋陸也さんの簡潔でわかりやすい「曲目について」という記事があり、開演前にざっと目を通しました。

《ラプソディー》の冒頭部分はヴァイオリンに注目して聴くと日本風の音階によっていて、しかもそれは前半のゆっくりした部分で何度か出現しました。「ヴァイオリンに注目」云々と書いたのは、そのときピアノは異なる調を弾いているので、はっきりそうとは分かりづらいのです。速い箇所の始まりはちょっと行進曲風で印象に残りやすいフレーズでした。1965年作曲のこの作品は、いま聴いても新鮮さを失っていないと思いました。つづく《七十二丁目の冬》は、1967年の冬に約1ヵ月ほどニューヨークで暮らした作曲者の体験がもとにあって翌68年に作曲されたものですが、これも新鮮さを保っていました。これは前作に比べて民族色が薄まり、ヴァイオリンのメロディを、ピアノの和音の響きで彩っていく、そんなデュオでした。

次の《小品6つ》は、作曲者自身の既存の作品をアレンジしたもので、1984年に初演されたそうです。全編を通して沖縄の音階がききとれますが、これはローカル色を強調するといった意味ではなく、むしろその音階をより普遍的なものととらえたのだといいます(この日は作曲者自身のお話も聞けました)。ウィットに富んだ小品が6曲、演奏の仕方にも工夫が凝らされていて、聴いていて楽しめました。

休憩を挟んだのちは、まず独奏ヴァイオリンのための《ソナタ》。楽章はラビリンス(迷宮)、エア、チャコーナ・ヴィーヴォという3つで、作品全体を通して、ひとつのメロディーから次へと移り、ふたたびさいしょのメロディーが聞こえてきたかと思うと今度は別の音楽に連なって展開されているという感じの作品にきこえました。その展開のしかたが興味深く、しかしこれまでの作品よりは長時間を要するので、少しばかり緊張をしながら聴きました。さいごは、この日の演奏者山田百子さんのために作曲者が書き下ろした《目次、ソナタ風の1楽章》と題された作品。プログラムに載った作曲者の文章によれば、この作品「ソナタの構成を予感させるようなテーマが、週刊誌の目次のように次から次へと移って行く」とあります。「百子さんのヴァイオリンの魅力のさわりをカタログのように並べてみたいという野心もあった」とは、同じく作曲者による文章からです。たしかにそう言われてみれば、カタログ風に音楽が並べられていたようですが、音楽の流れは自然にきこえました。

この日は、ヴァイオリニスト山田百子さんの力量に負うところ大のコンサートだったと思います。これらの作品がCD化されたら嬉しいのだけれどなと思いながら帰ってきました。
【2005年10月31日】


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