第101回:チェコ国立ピルゼン歌劇場《利口な女狐の物語》公演(武蔵野市民文化会館大ホール)

去る10月6日(木)、ヤナーチェクの《利口な女狐の物語》を観てきました(歌唱はチェコ語)。人間も動物も登場するのですが、動物が主人公になっている点でとても珍しいオペラです。まずは、主なキャストとスタッフから。

作曲・台本   L.ヤナーチェク
指揮      ヤン・ズバヴィテル
芸術監督    デュシャン・ズバヴィテル

森番      イェブヘン・ショカロ
森番の妻   ヘレナ・ヤネチコヴァー
神父/穴熊  トマーシュ・インドラ
校長/蚊   ズビニェク・ブラベッツ
ハラシタ    イージー・ハーイェク
ビストロウシカ(女狐)  クラーラ・ベネドヴァー
雄狐      ヤナ・テトロヴァー

チェコ国立ピルゼン歌劇場管弦楽団・合唱団・バレエ団


原作はR.チェスノフリーテクの『女狐ビストロウシカ』で、日本語訳は今年の8月に八月舎から『利口な女狐の物語』として出版されたばかりです(← こちら 参照)。この原作をもとにヤナーチェクみずからが台本を書き、1923年に全3幕のオペラとして完成させたのでした。

このオペラには森とその周辺に暮らす人間と動物が登場し、ある時は人間が動物を追い、ある時は人間模様を語り、またある時は逆に動物の世界のさまざまなことがらが描き出されています。1幕1場は、森が舞台。森番と動物たちの交流が歌唱を最小限に抑えて、動物たちのバレエによって描かれていました。そのさいしょの音楽では風の音や鳥の声などが模されていたりもしていました。森番と動物たちは心の交流もできているのですが、その一方で森番の自宅には多くの家畜が飼われていて、この時つかまった女狐ビストロウシカもいっときその仲間に入れられるのですが、動物どうしのしがらみがあって馴染めないでいます。ちょうど、現在の人間社会で異文化交流が重要視されていますが、ボタンの掛け違いがあるとそれもうまくいかないことがあるのに似ているような気がしました。ビストロウシカは犬や鶏たちを殺して、その場から逃げてしまいます(これが人間だと殺人となって、やっかいなストーリー展開になることでしょう)。2幕では、ビストロウシカが穴熊の住居をちゃっかり自分のものにしてしまう場面があるのですが、ここを観ていたら、少しばかり松本清張の『黒皮の手帖』を思い出したりもしました。村の宿屋で森番ほか数名の人間どうしのやりとりのシーンがありますが、その後、ビストロウシカは白馬の王子様ならぬ雄狐とめぐり逢い結婚。女狐にとって幸福の絶頂とでもいうべきシーンが展開されて2幕が終了。この間、約60分をぶっ通しで上演しました。オーケストラがもう少し厚い響きを出せないのかなと感じながら聴いていましたが、私の席が1階の一番奥の列だったことも影響しているかもしれません。

第3幕が始まってすぐの音楽は、これから何か良くないことが起こりそうな予感をもたせるようなものでした。森の中で森番とハラシタが会います。ハラシタは奥さんをなくしましたが、このたび再婚することになったというのです。その彼女に狐のマフなどを持参してプレゼントにしたいと考えていて、罠をしかけます。その直後、狐の大家族をかまえたビストロウシカの一家が通りかかりますが、これは罠だと見破って仕掛けた人間を馬鹿にします。やがて、雄狐はビストロウシカに「子供は何匹産んだんだっけ」と尋ねます。女狐が答えていうには「分かんない」。こんなユーモラスな会話が出てきては、会場からも笑い声が湧いてきます。もう少し子どもを作ろうと誘う雄狐に、ビストロウシカは森の動物たちの噂に上るからあとで話し合おうというのです。なんと、人間社会と同じじゃんなどと思いながら観てしまう場面ですが、このようにして幸福感あふれるシーンが展開されました。しかし、その直後、ハラシタがビストロウシカをみつけ、ついには射殺してしまい、この幸福感は一瞬にして吹き飛んでしまうのです。それにしても不思議だったのは、ハラシタを一度は痛い目にあわせたビストロウシカは、もしその気になれば一目散に森の安全な場所に逃げてしまうこともできたのではないかと思えてしまうことです。「殺すのね、私が女狐だから」とハラシタに何度も問いかけるようにしながら、様子をみているかのごとくに私の目には映ったのです。自然の営みから考えて、ハラシタがビストロウシカを撃ったことは、人間が生きていくうえでやむなく行った行為とはいいがたく、しかし、実際に嗜好品として価値の高い動物を殺して加工し、人間のもとにもってくることへのある種の警鐘とみました。

さて、オペラはここで終わりません。ここで再び人間たちの会話が先の宿屋で交わされます。登場する動物のうち、メインの役である女狐(ビストロウシカ)や雄狐などは若いのですが、人間の年齢の方は黄昏れの時期を迎えている点が対照的です。ラストのシーンでは冒頭のように森番が森で居眠りをしています。目覚めた森番のところへ蛙がやってくるのですが、これは第1幕冒頭のシーンに酷似しています。でも、何かが違う。森番が蛙をみつけて、どこへ行っていたんだと聞きただすと、蛙くん曰く「あなたが言っているのは僕のおじいさんのことだよ。あなたは森番だろう。おじいさんから何度も聞かされているよ」と。自然界の時の流れ、生命の移りかわり、人間の老いなどがラストシーンではギュッと詰まっていました。

はじめのうち、オペラが展開してゆくテンポがゆっくりと感じられて、退屈してしまうのではないかなと思ったのですが(睡魔には襲われましたけれど、原因は退屈さではありませんでした・・・)、見終わってみるとそんなことは杞憂でした(森番とビストロウシカが健闘していました)。ただ、終演直後から「ああ、よかった」と思えたかというと、私の場合そうではなく、ストーリーをもう一度じぶんの頭の中で整理などしながら人間と動物の関係などを考え、音楽にどう表されていたかを思い出しながら、うん、良いオペラだったなと確認した次第でした。
【2005年10月11日】


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