第97回:志村泉ピアノ・リサイタル(東京文化会館小ホール)

7月2日(土)の夜、標記のリサイタルが行われました。この日の私は、昼間の疲れがこのリサイタルの時間にどっと押し寄せてきて、いいコンディションで聴けませんでした。ですから感想文は控えようとも思っていたのですが、コンサートの意義などを考えると、やはりメモを残しておくことにしました。

まずは当日のプログラムからお目にかけましょう。

ドヴォルジャーク   「詩的な音画」作品85より(夜の道/バッカナーレ)
ベートーヴェン    ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
ギデオン・クライン  ピアノ・ソナタ
J.S.バッハ     半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
ヴィクトル・ウルマン ピアノ・ソナタ第5番「青春時代」作品45


ギデオン・クラインやヴィクトール・ウルマンなど第二次世界大戦中にテレジンに送られた作曲家は、やがてアウシュヴィッツのガス室に連行されて命を落としました。彼らはテレジンにいるあいだにも作曲をしました。こうした作曲家はほかにもいて、幸いにして現在まで楽譜が残された作品があるものですから、テレジンの作曲家だけでくくって、一晩のコンサート組んだりすることもあります。

プログラムの冒頭に置かれたドヴォルジャークのピアノ作品は、全部で13曲ある曲集から選んでの演奏でした。クラインやウルマンにすればドヴォルジャークは同郷の先輩作曲家ですから、家庭で弾いたりコンサートで聴いたりして親しんでいたものなのかもしれません(完全な想像ですが)。私は、これまでヤナーチェクのピアノ曲はCDで聴いたことがありましたが、ドヴォルジャークは初めてでした。まだまだ日本で彼のピアノ作品が演奏されることは珍しいといえるのでしょう(CDは出始めましたね)。いい体験になりました。さっそく廉価盤CDを買って同じ作品を聴いているところです。特別な名曲といえるかどうかは別として、もっと知られて良い作品にちがいないと思います。

今回のリサイタルは「嘆きの歌ではなく」というサブタイトルが付けられていました。クラインなどはテレジンに来てからもベートーヴェンのピアノ・ソナタやバッハの鍵盤曲を演奏していたそうです。クラインにしてもウルマンにしても、自分が作曲した作品がこうした先達の作品と同じプログラムに並べられて演奏されることを気持ちのどこかで望んでいたかもしれないわけです。

こうした文脈のなかにクラインとウルマンを置いてコンサートが行われてみると、なるほどこういうのもありなんだと、改めて気付かされました。さらにクラインは無調性の色彩の強い作品だったのに対し、ウルマンの方は輪郭がはっきりとわかる作品で、彼ら2人のあいだにも作風の相違が認められ、しかもそれぞれの作品の個性が楽しめました。
【2005年7月10日】



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