第94回:PETETOK III(すみだトリフォニー小ホール)

6月2日、標記のコンサートに行ってきました。PETETOKのコンサートは1年おきに行われ、今回が3回目。前回は仕事の都合で後半だけを聴くことになりましたが、初回からお邪魔している会ではあります。こうした新作がずらりと並んだコンサートに行ったのは久しぶりのことです。1月の五嶋みどりリサイタルもたしかに現代作品を集めたプログラムでしたが、今回のようにできたてのほやほやの作品が聴ける場ではありませんでしたから。まず、当日のプログラムからご紹介しましょう。

1.宮澤一人《ハッブル・ディープ・フィールド》(2005)
  福前裕子(クラリネット)+電子音
2.神長貞行《無限小律揺V》(2005)
  中村和枝(ピアノ)
3.中川俊郎《2重性(Duplicity)》[2005]
  福原徹(篠笛) 中川俊郎(ピアノ)
4.神長貞行《匿名性の音楽 II》(2005)
  手島志保(ヴァイオリン) 東義直(ヴィオラ)
5.近藤浩平《秩父古生層の旅》作品80(2005)
  甲斐史子(ヴィオラ) 西陽子(箏)
6.梶俊男《In The Mist 〜 Mist, Boogniaf》(2005)
  中村仁美(篳篥) David Farmer(Bayan)

前半は洋楽の新作が2曲置かれ、後半には邦楽器や雅楽器そのものの可能性、あるいはそれら伝統楽器や伝統音楽のもつ様々な構造(システム)から派生あるいは由来するところの新しい可能性を探るという企画意図に沿って書き下ろされた4曲が置かれたのだといいます。新らしいアイディアはPETETOKの梶氏によりますが、こうした企画をぶつけてこられると、「どんなことが起こるんだろう?」と興味津々にさせられます。

宮澤作品はNASAが打ち上げたハッブル宇宙望遠鏡を使って撮影した「ハッブル・ディープ・フィールド」をタイトルにもつ作品でした。先の宇宙望遠鏡は、このフィールドにある宇宙誕生から約10億年後(つまり今から約130億年前)の1500から2000の星を写し出し、以前には何もないと言われていた説をくつがえしました。http://th.nao.ac.jp/openhouse/1999/hst/dg06-im.htm という国立天文台のコンテンツのひとつで「ハッブル・ディープ・フィールド」が見られますが、美しいだけでなく力感すら感じさせる多くの星が写し出されています。作品で使われる電子音は誰かがPCの前に座って操作するのではなく、あらかじめMIDIをつかってCDに録音された電子音とナマのクラリネットの演奏となっていました。たまたま私は、足かけ5年ほどのあいだにいくつかの宮澤作品を聴くチャンスをもちましたが、作曲される作品は多様さもっていると思えるようになりました。そして今回は、ここ数年のうちに聴いたなかでは、もっとも静的な作品といえるように思いました。

神長作品は2曲聴きました。《無限小律揺V》は、。作曲者によれば「ただ瑣末な現象を見出し、それらを記録する行為にのみ没頭する」、作品の意味はこうした行為にあるといいます。だから、といって良いのかどうかは慎重にならざるを得ませんが、曲のディーテールをずーっと聴いていくうちに作品が終わったという印象です。作品を理解したり、まして味わったりする段階にいきつくまでには、1度聴いただけでは無理だと思いました。ちょっと骨が折れるかもしれませんが、もし改めて聴く機会があれば、そうしたいと思います。同じ作曲者の《匿名性の音楽 II》は後半に置かれた1曲ですが、編成はヴァイオリンとヴィオラというものでしたから、さいしょ首を傾げてしまいました。作曲者によれば、笙の合竹表を基に作られているため、ヴァイオリンとヴィオラという洋楽器の編成を取りながらも、準邦楽的な楽曲といえるだろうと解説されていました。それと、この曲にはもうひとつ仕掛けというか、演奏が進んでいくほど作品の出発点へ戻っていくように作曲されているというのだが、残念ながら、どちらの要素も聴いてわかるものではありませんでしたので、そのまま聴いているほかありませんでした。

中川作品は篠笛とピアノのための作品でした。いくつかのエピソードめいた話がプログラムに書かれていると同時に、それが作品解説にもなっている、というのです。たとえばゆったりと旋律をうたう篠笛が人格的にも穏やかで優れていて多くの人に好かれいる誰かだとします。ピアノさんがその誰かと会話をしていて、何気なく第三者の名前を出したところ相手の顔や身体が急にこわばったとします。誰しも、似たような局面に遭遇したことがあるのではないかと想像しますが、その瞬間は、ピアノと篠笛が同時に同じ音を出し、しかもアクセントがついてきこえる、そんな作りになっているのだな、と感じながら面白く聴きました。

近藤作品は江森國友の詩「秩父古生層の旅」からタイトルをとったもので、プログラムにはその詩が書かれています。その詩に作品のヒントがあるのでしょうが、そこまで聴きこめずに終わってしまいました。梶作品は、アコーディオンの一種でバヤンという楽器と篳篥の二重奏。音色的に合う2つの楽器を使っての作品で、聴きやすさもともなっていました。

全体を通していえば好感のもてたせいか、私は帰宅してからもコンサートの余韻に浸って興奮がなかなかさめていきませんでした。
【2005年6月8日】



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