第87回:都響スペシャル「日本音楽の探訪」第3回(東京芸術劇場大ホール)

台風23号が接近しつつあった10月20日の夜、標記のコンサートへ行ってきました。正直なところ、会場へ行くのがおっくうになるような悪天候でしたが、池袋駅から東京芸術劇場へは地下通路一本で濡れずに行けますし、幸い、私にとっては帰宅するにも近い距離です。そんなわけで、一度聴きのがすと次はいつ聴けるかわからない、という思いが勝ちました。当日のプログラムと演奏は

松平頼則  ピアノと管弦楽のための3楽章(1962)
  ピアノ:大井浩明
篠原眞   ソリテュード(1961)
夏田鐘甲  管弦楽のための音楽《伽藍》(1965)
吉田隆子  組曲《道》(1948)
  ソプラノ:山本真由美
倉知緑郎  バレエ音楽《天使たちは正しい》(1951)抜粋
  管弦楽:東京都交響楽団  指揮:高関健

という内容でした。今回のコンサートは都響スペシャルという枠で開催されていますが、選曲は「日本戦後音楽史研究会」という研究者グループが行っています。再演されずに埋もれていたた日本人作曲家の作品から優れたものを実際に聴いて再体験しようという趣旨で、1940年代後半から60年代半なかばまでから5曲選ばれていました。戦後になって登場した新しいスタイルのものばかりに偏って紹介することは、意識的に避けられていました。

最初は、松平頼則の《ピアノと管弦楽のための3楽章》。私が初めて聴いた松平作品は、1939年作曲の《南部民謡による主題と変奏》(ピアノと管弦楽)でした。これはホントに民謡をもとにした作品だったと思います。で、やがて雅楽の影響を受け、戦後はそれにくわえて12音技法が結合されたりして、新しい潮流に反応していったようです。今回聴いたのは、雅楽の影響を受けているかどうかはわかりませんでしたが、音列をもちいた作品。先に挙げた主題と変奏とは大きくスタイルが異なります。第1楽章は6つの前奏曲、第2楽章は主に木管楽器のうた、第3楽章は主題を提示しない6つの変奏曲という構成でした。第3楽章の変奏など、主題の提示がないとはいえ、なんとなく1楽章や2楽章で聴いた音楽と似た音楽が鳴っている感じがして、主題のない変奏曲を聴いているとまでは思えませんでした。あとで、プログラム解説を読むと「全体は3楽章からなるが、相互に密接な関係をもっている」とありましたから、あながち間違った感想ではないような気がするのですが・・・。そして、いま聴いても古さを感じない作品だったと思います。

吉田隆子の組曲《道》は、第1曲<樹>、第2曲<鍬>、第3曲<頬>、そして第4曲<手>からなっています。女性の主体的自立をねがう歌、獄に囚われたプロレタリア詩人の兄を想う歌、嬰児が革命家に成長できるかを思う歌、プロレタリアートの善男善女の愛をたたえる歌と、戦前・戦中には抑えつけられていた左翼思想を思う存分歌った作品で、強いメッセージを受けることとなりました。ただ、この作品を聴いたときだけは会場の3階席を買い求めたことを後悔しました。オーケストラ伴奏ですから、歌手の声がとどきにくい時があったからです。

倉知緑郎の《天使たちは正しい》の抜粋はラヴェルを思わせ(楽しめました)、ちょっと洒落た作品でした。篠原眞の《ソリチュード》は冒頭でフルートが自由に、そして小太鼓が単音を打ち(「響かせないで」と指示されているそうですが、そうはいっても響いてたと思います)、興味を惹かれました。ただ、そのあとオーケストラ全体で演奏するに及んで、ボーッと聴いていたせいでしょうか、対照的な要素をぶつけあったり融合させたりしつつ展開されているのかどうか、わからなくなってしまいました。夏田鐘甲の《伽藍》も冒頭の微分音やチェロの音づかいなど興味を惹かれたのですが、その後の展開に冒頭の工夫がどう関係しているのか、途中でわからなくなってしまいました。シリアスな音楽だけに、1〜2回聴いただけではわからないことが、よくあります。仕方ないなと思って帰路につきました・・・。
【2004年10月26日】


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