第81回 : 《菩提樹》がうたいたい(第一生命ホール)

連休がスタートした4月29日は、Tokyo Cantat 2004 が幕を開ける日でもありました。この日のTokyo Cantatは2つのコンサートが組まれていたのですが、私はオープニング・コンサートを聴いてきました。会場は第一生命ホールです。標記のタイトルはコンサートに付されたものですが、実はサブタイトルとして“あの頃唱和したのは「国民歌」”と続きます。歌う自由を制約された戦時下に歌われた曲を50曲以上並べて演奏し、考えてみようというわけです。まず、プログラムのご紹介から行きましょう。

◎プロローグ
菩提樹 ミュラー詞/近藤朔風訳 シューベルト曲(青島広志編)
菩提樹
木琴 金井直詩 岩河三郎曲
◎祝い終わった、さあ働こう  紀元二千六百年奉祝から日米開戦へ
紀元二千六百年頌歌 東京音楽学校詞 東京音楽学校曲
国民進軍歌 下泰詞 松田洋平曲・橋本國彦編
特別攻撃隊 読売新聞社撰詞 東京音楽学校曲・下総喨一編
菩提樹
煌く星座 佐伯孝夫詞 佐々木俊一曲
誰か故郷を思わざる 西條八十詞 古賀政男曲
婦系図の歌 佐伯孝夫詞 清水保雄曲
お使いは自転車に乗って 上山雅輔詞 鈴木静一曲・青島広志編
空の神兵  *ピアノ独奏 梅木三郎詞 高木東六曲
◎撃ちてしやまむ  国民皆唱運動(1943年)で指定された「皆唱歌曲」より
海ゆかば 大伴家持詞 信時潔曲
この決意 大政翼賛会詞 片山頴太カ曲
楽しい奉仕 吉川鷲美詞 伊藤翁介曲
村は土から 農山漁村文化協会詞 古関裕而
朝だ元気で 八十島稔詞 飯田信夫曲
進め一億火の玉だ 大政翼賛会詞 大政翼賛会曲
世界の果までも 相馬御風詞 弘田龍太郎曲
みたみわれ 海犬養岡麻呂詞 山本芳樹曲
ああ紅の血は燃ゆる 野村俊夫詞 明本京静曲
暁に祈る 野村俊夫詞 古関裕而曲
若鷲の歌 野村俊夫詞 古関裕而曲
若鷲の歌
ダンチョネ節 三浦岬民謡
ズンドコ節 作詞者不詳 作曲者不詳
軍隊小唄 下條ひでと補作詞 倉若晴生曲
可愛いスーちゃん 作詞者不詳 作曲者不詳
同期の桜 西條八十詞 大村能章曲
別れ船 清水みのる詞 倉若晴生曲
◎月月火水木金金  日本音楽文化協会音楽挺身隊のレパートリーより
月月火水木金金  *ピアノ独奏
音楽挺身隊歌 大木惇夫詞 山田耕筰曲
決戦の秋は来れり 三好達治詞 林松木曲・橋本國彦編
起て一億 西條八十詞 山田耕筰曲
大航空の歌 西條八十詞 佐々木俊一曲・橋本國彦編
大アジア獅子吼の歌 大木惇夫詞 園部為之曲・佐々木すぐる編
愛国行進曲 森川幸吉詞 瀬戸口藤吉曲・橋本國彦編
少国民愛国歌 星野尚夫詞 橋本國彦曲
兵隊さんよありがとう 橋本善三郎詞 佐々木すぐる曲
僕等の団結 勝承夫詞 信時潔曲
空の父空の兄 輿田準一詞 名倉晰曲
少国民決意の歌 大木惇夫詞 山田耕筰曲
子を頌ふ 城左門詞 深井史郎曲
◎鬼畜米英  「決戦楽曲」やラジオ放送された「国民合唱」「職場のうた」より
勝利の日まで  *ピアノ独奏 サトウハチロー詞 古賀政男曲
神風節 時雨音羽詞 佐々木俊一曲
怖れを知らず 勝承夫詞 佐々木すぐる曲
国難に勝つ 野村俊夫詞 佐々木すぐる曲
み鉾とり 梅木三郎詞 平井保喜曲
強いぞ日本少国民 久保田宵二詞 長妻完至曲
椰子の実 島崎藤村詞 大中寅二曲
航空決戦の歌 勝承夫詞 安倍盛曲
征くぞ空の決戦場 井上康文詞 高木東六曲
必勝歌 杉江健司詞 大村能章曲
国民義勇隊の歌 情報局詞 橋本國彦曲
朝夕の銘 大木惇夫詞 清水修曲
戦う花 深尾須磨子詞 橋本國彦曲
花の誓い 深尾須磨子詞 橋本國彦曲
◎敗戦
海ゆかば
菩提樹
菩提樹
世界に一つだけの花(/) 槙原敬之詞 槙原敬之曲・御ア恵編
監修:長木誠司・戸ノ下達也/台本・構成:戸ノ下達也/出演:アンサンブル・カーノ、合唱団るふらん、コーロ・カロス、RARA KORUSO/ピアノ:須永真美/マンドリン:宮田蝶子/ギター:今井満/アコーディオン:松永勇次/ナレーター:竹下景子/演出:齋藤千津子

ここまで読んでいただくだけでも、かなりのボリュームがあったでしょう。なお、上のプログラムには同一の曲が何度か出てくるケースがあります。ある時は普通に歌われ、ある時は解説やナレーションのBGMとして演奏されるなどしていました。勝手にまとめてしまうのもどうかと思い、あえてプログラムに掲載されたまま書き写すことを基本としました(一部、曲順が変更された箇所などもあったみたいですけれど、プログラムのままで〜す)。

Tokyo CantatのCantatとは、合唱人集団「音楽樹」によって主催される2大行事のひとつで、一定期間に集中して行なう合唱のためのコンサート、講演会、講習会などのイベントを指す新しい言葉だそうです。これはTokyo Cantat 2004のHP( http://www.ki.rim.or.jp/~t-cantat/ )をたどっていくと確認できます。そして1996年に始まったTokyo Cantatは、過去に行なわれた数多くのコンサートのなかには「編曲は再創造〜《花》百年によせて」や「唱歌・童謡の誕生と運命」などの企画ものも見出せます。

さて当日のステージですが、こんな感じで進行しました。まず、ステージの下手(観客から見て向かって左)にピアニスト、その手前に(たぶん)舞台監督、その横に構成を担当した戸ノ下達也さん、ステージには先に挙げた合唱団が入れ替わり(ときには混成チームとお見受けしました)で登場し、歌います。いわゆる普通の合唱団のコンサートのように、ステージ中央に指揮台を置き、そこに指揮者が登場するスタイルは基本的にとりませんでした。上手(観客から見て向かって右)にはナレーターの竹下景子さんが座っていました。そして時折、下手のピアノの前に、マンドリン、ギター、アコーディオンが登場することもありました。ピアノ伴奏ではなく、それらの楽器の組み合わせで伴奏される曲が若干ありましたので。もう一つ付け加えておくと、このコンサート、休憩がありませんでしたからピアニストは他の楽器が伴奏を受け持ったときだけが束の間の休息となりました。曲想も一様ではありませんし、ひじょうに大変な役割をみごとにこなしておいででした。

さて、1940年は「皇紀2600年奉祝」の年。ほかに国民皆唱運動、日本音楽文化協会音楽挺身隊、決戦楽曲や国民合唱などをまとめてドンと聴いたわけです。おおざっぱに感想をまとめると、統制をする側が国民の士気を高めたり、生産を上げたりするために作らせたと思しき曲は、あまり印象に残りませんでした。おおむね勇壮な感じで書かれているのですが、歌う側(または聴く側)に訴えかける力に乏しいのだと思いました(主観ですけれどね)。そして、この日演奏されたのは、そうした曲が多かったわけです。しかし、そうした曲ばかりだったかといえば違います。大勢の人々に好んで歌われた《誰か故郷を思わざる》《婦系図の歌》《お使いは自転車に乗って》、聴いていたときに回りからすすり泣きがきこえてきた《ああ紅の血は燃ゆる》《暁に祈る》《若鷲の歌》など、また反戦とまでは言えないでしょうが厭戦的な内容をユーモラスに歌った兵隊ソングの数々(《ダンチョネ節》《ズンドコ節》《軍隊小唄》《可愛いスーちゃん》)、しっとりとしたメロディをもったいくつかの曲(《朝夕の銘》《戦う花》《花の誓い》)などは、先ほどの仲間に入れてしまうのはマズイのだろうと思いました。こうした考えは、一度に50曲以上を聴けたことと、コンサートの構成に私が影響されたと言ってよいでしょう。

もう一つ付け加えておきましょう。それは、さきほど具体的に曲名を挙げて示した曲のいくつかは、戦後の懐メロ番組やカラオケ・スナック、あるいは(たぶん)ある時期までは学校などでも歌われて、その命を保っていることです。かくいう私自身も、《お使いは自転車に乗って》と《朝だ元気で》は中学の音楽の教科書に掲載されていたことを覚えています。恐れ入る例としては、かの《愛国行進曲》が某県で運動会の行進か何かのときにリコーダーで演奏したよ、という話まできいたことがあるのです(戦後生まれの人からですよ、念のため)。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉を思い起こしながら帰路についたコンサートでした。
【2004年5月4日】


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