第80回:オーケストラ・ニッポニカ第4回演奏会(紀尾井ホール)

去る3月7日(日)の午後、標記の演奏会に行きました。この日は、次のとおりたいへん凝ったプログラムでした(指揮は《サテュリコン》が終わったばかりの本名徹次)。

伊藤昇    二つの叙情曲(1927・30) [ 1.黄昏の単調 2.陰影]
深井史郎  架空のバレエのための三楽章(1956)
菅原明朗  交響楽ホ調(1953)
菅原明朗  ファンタジア(1981)

当時の日本の作曲界はドイツの流れが主流でしたが、今回の3人はなんらかのかたちでフランス近代あるいはラテン系の音楽に惹かれたことがあった点で共通し、最年長の菅原は伊藤の才を認め、深井を教え子にもち彼に甚大な影響を与えました。ここまでの要素で考えれば菅原明朗とその教え子たちといったグループでくくることができるわけですが、とはいえ、3人は作曲家として似ているわけではないのだといいます(プログラム解説より要約)。というわけで、彼らの作品を1回のコンサートで演奏して味わってみよう、というのが今回の趣旨といえます。

2篇の曲からなる伊藤昇の作品は元来ピアノ曲で、1曲目が1927年の、2曲目も同じ頃の作曲だといいます。それを30年に一括してオーケストレーションし《二つの叙情曲》としたのだそうです。1曲目の《黄昏の単調》は、とてもゆっくりした曲であるうえにタイトルからも連想できるようにハデな面がない曲でした。これは三木露風の同名の詩に基づく自由な音楽作品。2曲目の《陰影》は北原白秋の詩に楽想を得たもので、孤独な心象を描いたものとされています。実は、この作曲家の名前を知ったのは、四半世紀以上前になりますが秋山邦晴氏の連載「日本の作曲家の半世紀」(現在は単行本化され、『昭和の作曲家たち』(みすず書房 2003))でのこと。もっと、現代的な響きがするのかと勝手に想像してしていましたが、この作品からは意外と日本的といえそうな響きが聴き取れて驚きました。

深井史郎の作品は、響きのきらびやかさとメリハリのきいた活き活きとした音楽の流れが印象的で、この日もっとも好感をもって聴いた作品でした。はじめの2つの楽章(<発端>と<踊り歌>)は休みなく続けて演奏され、<幕切れの踊り>の第3楽章で作品が閉じられます。《パロディ的な4楽章》にしても《ジャワの唄声》にしてもそうでしたが、聴くものを飽きさせない曲づくりができる人なのでしょうね。

休憩を挟んで、後半は菅原明朗の作品が2曲演奏されました。その日のメインになるプログラムといえるのが《交響楽ホ調》です。4つの楽章をもつこの交響曲は、演奏される具体的な予定がないまま自発的に作曲されたそうです。完成が1953年の春、そして新日本放送(現在の毎日放送)のラジオ番組で、上田仁指揮東京交響楽団によって初演されたといいます。そして、今回の演奏は、どうやら舞台初演と考えられています。もう一つ、この作品の弦楽器編成は第一ヴァイオリンを16人置くことを基本とすることが指定され、第1および第4楽章において弦楽器各パートの人数を変える細かな指示まで与えられているのだそうです。今回は、そこまでできないが、この曲を蘇演することの重要性を優先させたと明記していました。楽譜の指定どおり舞台で演奏することが難しい曲でもあったのですね。終楽章にはグレゴリオ聖歌風のコラールが配置されるなど、作曲者の人生を重ねたような一面があるような作品と受け取れますので、蘇演の意義は充分ありました(ただ、私には作品の良さを味わうレベルまで到達することはできませんでした)。さいごを飾った《ファンタジア》も、グレゴリオ聖歌風の旋律がみとめられる雅な感じの曲です。作曲者のカトリック信仰の表白であると解説されていました。
【2004年3月14日】


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