第78回 : ラジオから生まれた歌(東京文化会館小ホール)

去る2月2日(月)表記のコンサートに行きました。実は、このコンサートには「橋本國彦生誕百年記念特集」というサブタイトルもついていました。まずプログラムをご覧ください。

No. タイトル 作詞 作曲
椰子の實 島崎藤村 大中寅二
心のふるさと 大木惇夫 江口夜詩
愛國の花 福田正夫 古関裕而
海ゆかば 大伴家持 信時潔
出征兵士を送る歌 生田大三郎 林伊佐緒
空の神兵 梅木三郎 高木東六
雲のふるさと 大木惇夫 古賀政男
やすらひの歌 百田宗治 古賀政男
勝利の日まで サトウハチロー 古賀政男
10 空の父空の兄 奥田準一 名倉晰
11 母の歌 板谷節子 橋本國彦
12 大日本の歌 芳賀秀次郎 橋本國彦
13 學徒進軍歌 西條八十 橋本國彦
14 戰ふ花 深尾須磨子 橋本國彦
15 勝ちぬく僕等少國民 上村數馬 橋本國彦
16 朝はどこから 森まさる 橋本國彦
17 乙女雲 藤浦洸 橋本國彦
18 アカシヤの花 松坂直美 橋本國彦
19 深尾須磨子 橋本國彦
藍川由美(ソプラノ) 榊原道子(ピアノ)

コンサートのタイトルに惹かれて行ってきました。「ラジオから生まれた」というのは、こんな由来があります。1936年にNHHKではじまった「国民歌謡」という番組が1941年には「われらのうた」と番組名が変わり、翌42年には「国民合唱」、敗戦後の1946年には「ラジオ歌謡」として続き、テレビの時代になってからは、ご存知「みんなのうた」として継承されたのですが、このたびのコンサートでは4つのラジオ番組を通して広められた歌曲が取り上げられて演奏されたのです。プログラムの後半は今年生誕100年を迎えた橋本國彦を特集していましたが、さいごに置かれた《舞》以外は、やはりラジオから生まれた歌でした。《舞》は、橋本最高の歌曲と位置づけられ演奏されましたので、これだけはラジオ云々とは関係ありません。

この日歌われた歌曲の多くは、戦前から戦時中にかけてのものです。絵画作品の場合は、戦時中に描かれた作品を見る機会がありましたが、この種の歌は、そう簡単ではありません(一部、通販のCDなどで出ているようなのですが)。まして、声とピアノという、いわばオリジナルのかたちで聴ける機会など、そう滅多にあるものではないでしょう。

1曲目はおなじみですね。2曲目は3拍子、3曲目は「愛国の〜」とタイトルについていますが自然な流れをもった曲でした。4曲目、5曲目などは「いかにも」という曲の運びでした。ただ、曲じだい興味深く聴けても歌詞のほうは時代を反映しています。たとえば、後半の橋本國彦作曲《勝ちぬく僕等少國民》(これは戦時中の子どもたちが歌った曲だそうです)で、「・・・/天皇陛下の御為に/死ねと教へた父母の/赤い血潮をうけついで/心に決死の白襷/・・・」などといった歌詞を聴かされると、やはり複雑な気持ちをもってしまいます。やはり戦前、戦中の多くは聴く喜びを満喫できるものではありません(戦争記録画を見るときもそうだな、と思いました)。しかし会場にいらした年配の方々は、ご自分たちが生きた時代の一部で、それも苦労の多かった時代だったこともあってか、熱い拍手を送っているようにお見受けしました。よく知らない曲を聴いた私と、身体にしみ込んだにもかかわらず長いあいだ封印されてきた歌に再会できた人たちの相違なのでしょうね。

私が特に印象に残ったのは古賀政男の3曲。ピアノ伴奏で歌われる古賀の曲というのは初めてだったのですが、これらが(歌詞はさておき)とても自然な流れをもつ音楽になっていて良かったです。もうひとつは橋本國彦ですが、さいごに置かれた《舞》の良さが聴くたびに少しずつですがわかってきたような気になりました(何回か聴いたことになるので)。これが橋本の声楽作品の最高傑作だとすると、ラジオから生まれた戦前・戦中の歌は(性格が異なることもあるかもしれませんが)、何か物足りませんでした。時局を意識しながら曲を書くというのは、どこか自分の創作意欲を犠牲にしなければならないのかな、と首をかしげたりしました。ともあれ、貴重な体験ができたコンサートでした。
【2004年2月9日】


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