第74回 : 市原悦子 ブレヒト・ソングをうたう(シアターΧ)

9月20日(土)の午後、標記の催しに出かけました。両国にあるシアターΧ[← カイと読みます]が、2年がかりで「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」をはじめたのです。今回の催しは、2005年3月に予定されているブレヒトの戯曲『肝っ玉おっ母とその子供たち』の全幕上演に先立って、『肝っ玉おっ母と〜』を思い切ってバラエティ形式のダイジェスト版に仕立て上げ、パウル・デッサウが作曲した劇中歌に焦点を当てて進行しようとする催しだった、とでもまとめればよいでしょう。ですから、拙HPの「通いコン・・・サート」欄で書くのが適当なのかと問われれば、多少問題も残るのですが、珍しいパウル・デッサウの曲が聴ける機会だった点を考えて、敢えてこの欄で書くこととしました。ご了解ください。

パウル・デッサウ。1894年に生まれ1979年に没しました。作曲家であるばかりでなく、歌劇場の指揮者もつとめました。オペラ、劇音楽、映画音楽、管弦楽、室内楽、合唱曲、歌曲などがあります。1933年にナチスに追放。39年に渡米します。ブレヒト作品の音楽化に縁が深く、オペラ《ルクルスの断罪》、劇の付随音楽《肝っ玉おっ母とその子供たち》《セチュアンの善人》ほかを残しています。1948年に東ドイツに戻り、社会主義リアリズムの音楽を書きました。・・・と、少し調べながら書きながら、私自身この作曲家の音に接した経験は、ほとんどありませんでした。

話は変わりますが、私は今回シアターΧに初めて行きました。芝居を見るのにちょうど良い広さ、というか狭さをもっています。キャパは最大で300人。広さのみならず、心地よく芝居が見られそうだぞという予感をもてる会場でした。そして開演前の女性のアナウンスが、なんとも面白かったですねえ。携帯電話や腕時計のアラームなど人の迷惑になる行為は固くご遠慮ください、という内容を言うときは、きっぱりとした口調で「絶対にダメだ!」という決意のほどがひしひしと伝わってきました。その次の瞬間、少し甘い声色(要するに猫撫で声)に変えて、それでは開演までのひととき今しばらくお待ちくださいときます。そして最後は思いっきりぶりっ子で「じゃあ〜ね〜」。これには会場から期せずして大きな笑い声が起こりました(もちろん私も)。

本公演のスタッフと出演者のご紹介をしておきましょう。監修=岩淵達治、原作=ベルトルト・ブレヒト、作曲=パウル・デッサウ、台本構成=岩淵達治・山本健翔、歌詞改訂=山本健翔・塩見哲、音楽監督=ミッキー吉野、演奏=ミッキー吉野・竹越かずゆき、演出=山本健翔、出演=市原悦子、俵一、山本健翔、近童弐吉、岸端正浩、大草理乙子、村岡きよみ、いずみ流衣、中原くれあ、定島由加子の面々。

『肝っ玉おっ母とその子供たち』の舞台は、17世紀ヨーロッパでおこった30年戦争のさなかのヨーロッパ各地。肝っ玉おっ母は、軍人相手にさまざまなものを売って生計を立てています。はじめ、二人の息子と一人の娘が同行していますが、一人ずつなんらかのかたちで戦争とかかわって死んでいき、さいごは肝っ玉一人が残ります。詳しくは、未来社から出ている『ブレヒト戯曲全集 第5巻』にこの戯曲の訳が掲載されていますから、書店なり図書館なりで手にとってご覧になると良いと思います。さて、この劇でデッサウは、劇中歌を10曲作曲しています。歌われた曲を挙げておくと、

1.ちょっとお待ち 太鼓をやめろ(第1場)
2.弾に当たり 槍で刺され(第2場 「女と兵隊の歌」)
3.私がまだ十七のとき(第3場 「兄妹(めおと)の契りの歌」)
4.その昔若いときには あたしゃとっても高望み(第4場 「大敗北の歌」)
5.戦争の勝ち負けなんか 俺の知ったことか(第7場)
6.西から東へ 南から北へ(第8場)
7.皆さんご存知 ソロモンの最後(第9場)
8.バラは咲きて楽しや 我が家の庭に(第10場)
9.ねんねんよう おころりよ(第12場)
10.幸せも危険も 戦争にゃつきもの(第12場 合唱)

といった按配です。もっとも配られたパンフレットには、曲目一覧があったわけではなく、記念に買い求めた先の戯曲全集にあたりながら、なんとか確認したものですので、もし間違いがあったらご容赦ください。蛇足ながら、この戯曲の舞台がいくら17世紀だといっても、じっさいに書かれていた第二次世界大戦のころの同時代と重ねあわされていることは、いうまでもありません。

パウル・デッサウの作曲した劇中歌は、音程などきわめてとりにくそうで、テンポが不安定になる箇所も少し合ったように思いますが、ともかく難しそうに聞こえました(難しそうではなく、難しいのでしょう、きっと)。そうしたなかで、市原悦子さんは、音楽に言葉をうまくのせて意味を観客に伝えていました。きかせる歌になっている、といったらよいでしょうか。ただ、男優さんにはもう少し頑張ってほしかった、という気持ちが残りました。

この『肝っ玉』のダイジェスト版は、2年後の全幕上演をいまから楽しみにさせてくれるものでした。

【2003年9月23日】


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