第73回 : オーケストラ・ニッポニカ第3回演奏会(紀尾井ホール)

7月13日(日)、オーケストラ・ニッポニカ( http://hw001.gate01.com/jcraft/index.html )を聴きに出かけました。第1回、第2回は戦前・戦中の日本人作品に光を当てたプログラムでしたが、今回は次のとおり。

馬 思聡  ヴァイオリン協奏曲ヘ長調(1943年)
石井 眞木  扇の舞(2002年)・・・・・追悼演奏
紙 恭輔  木琴と管絃楽のための協奏曲 作品56(1944年)
V.ダンディ  フランス山人の歌による交響曲(1938年)
劉薇(ヴァイオリン)  吉原すみれ(木琴)  渡辺達(ピアノ)  オーケストラ・ニッポニカ  本名徹次(指揮)

珍しいという点では前回に劣りませんが、中国最初のヴァイオリン協奏曲である馬の作品、そして人名だけは覚えがあるのだけれど音を聴いたことがなかった紙の作品、さらに「ああ、これか」と思い出すだろうけれども意外と演奏の機会に恵まれない(らしい)ダンディの作品が並び、うち2曲は作品が誕生した国こそちがえ、戦時中の作品です。さらに馬、紙、ダンディともに協奏曲ないしは協奏的作品という共通点があります。石井眞木の作品だけは意味合いが違って、このオーケストラの良き理解者であり助言者でもあったという石井が最晩年に残した短いオーケストラ作品を、追悼の意を込めて演奏したのでした。

この日、一番興味深く聴いたのは1944年に作曲された紙恭輔の《木琴と管絃楽のための協奏曲》でした。楽譜のことから触れると、スコアは日本近代音楽館が所蔵していて、パート譜と木琴の独奏譜はオーケストラが作成したとあります。仕事や学業など、ほかに本業がある皆さんのなさることですから敬意を表さずにはいられません。くわえて、今回は独奏楽器の音域が今日通常に使われている木琴よりも広く、調べると平岡養一が滞米中にメーカーに特注で作らせたものだったと判明したそうです。他の楽器で代用する方策まで考えたそうですが、残っている2台の特注楽器のうち音の出る方を、ご遺族の協力を得てアメリカから運び込んでの演奏となりました。ですから、この作品の実演に接するきわめて稀で貴重な場に居合わせたことになるのですね。

3楽章からなる紙の協奏曲は、トランペットやトロンボーンまでも含んだ2管編成のオーケストラをバックに演奏されました。作品全体は平明で、どこまでも明るい響きをもっていて、ヨーロッパ風の装いが凝らされています。私には第2楽章が、哀愁を帯びたオペラのアリアを協奏曲に仕立てたようにもきこえれば、流行歌風にきこえるような旋律でもあったと思います。戦前にジャズにのめりこみ映画音楽にも携わった紙が、戦争中声高に叫ばれた米英音楽の駆逐という主張を充分意識し、こんなふうにも作れますよ、とユーモアと皮肉(←そうとは目立たないように)を交えながら提示した作品のように思えてなりませんでした。そして木琴の旋律は、くっきりと、そして表情豊かに聴こえてきました。

馬の《ヴァイオリン協奏曲》は初演が1946年、次に「プラハの春」音楽祭で1951年に演奏され、北京でも57年と61年に演奏されたのですが、文化大革命で演奏禁止処分を受けて、1991年まで演奏される機会に恵まれなかったようです。中国の旋律がたっぷり詰まっているのが特徴のようで、さらに中国式の演奏様式(第2楽章のポルタメントなど)をうまく取り入れていました。そして第3楽章は終わりに向かって演奏されるトランペットの旋律が華やかさを増加させ、なんともユニークな作品でした。

ダンディは、実演に接したのが初めてでした。「ああこの曲、この曲」と頷きながら、楽しんで聴いてきました。オーケストラ・ニッポニカは、第1回、第2回の演奏会のあいだが3週間しかなかったのですが、大曲を準備してデビューしました。今回は、より充実した響きを楽しめました。
【2003年7月18日】


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