第68回 : オーケストラ・ニッポニカ第1回演奏会(紀尾井ホール)

2月2日(日)、オーケストラ・ニッポニカ( http://hw001.gate01.com/jcraft/index.html )がデビューしました。その場に居合わせることができて良かったと思っています。このオーケストラは、芥川也寸志さんが創設した新交響楽団に在籍したメンバーを中心に立ち上げられました。そして、日本人によって作曲された作品を継続的に取り上げていくこと、また世界中の埋もれた名曲を発掘することを内容とする音楽活動を展開していこうとしています。

設立演奏会は、2月2日(日)の第1回と2月23日(日)の第2回に当てられ、1928年から1942年にかけて作曲された日本人作品が並んでいます。第1回のプログラムは、
橋本國彦  感傷的諧謔(1928年)
宮原禎次  交響曲第4番(1942年)
大澤寿人  ピアノ協奏曲第3番(1938年)
野平一郎(ピアノ)  オーケストラ・ニッポニカ  本名徹次(指揮)

というものでした。どれも、とても珍しい作品ばかりで、よくぞ探してきたものだと感心してしまいます。

《感傷的諧謔》は、日本のオーケストラ作品として比較的早い時期のものだったといえるようです。橋本自身にとっても若い時期の作品ですから、さいきんナクソスからリリースされた《交響曲第1番》と交響組曲《天女と漁夫》ほどのインパクトがあるかといえば、さすがにそうはいかないように思えますが、あちらこちらにいろいろな工夫が凝らされていました。宮原禎次も、滅多に聴く機会のない作曲家だと思います。過去は1992年に旧奏楽堂で《交響曲第1番》(1937年)が演奏されましたが、さいきんでは、ほかに演奏に機会があったのかどうか、私はあいにく知りません。JOBKから「大東亜戦争海戦1周年記念楽曲をとの依頼を受けて作曲、ラジオで初演されたときには交響曲《12月8日》という表題が付いていたといいます。全体的に、やや重い感じがしますが、そのなかで第3楽章はホッと一息つけました。

休憩後は、大澤寿人のピアノ・コンチェルト。この日一番の聴きものでした。この曲は、1937年に東京−ロンドン間の最速飛行記録を樹立した朝日新聞社所有の神風号を念頭において作曲された、3楽章の作品でした。飛行機の離陸から順調な飛行を描いた第1楽章は力のこもったものでした。夜間飛行の音楽だという第2楽章は、サクソフォーンが甘美な主題を演奏するなか、ピアノがオーケストラをバックに演奏に加わってきます。この時の弦楽セクションの響きは、それは豊かな雰囲気を漂わせながら美しく響いていました。大澤は、1930年にアメリカに留学、ニューイングランド音楽院でセッションズらに師事、その後パリでナディア・ブーランジェに師事し、1936年帰国しました。外国留学中にすでに作品を書いていますし、日本人として初めてボストン交響楽団を、フランスではコンセール・パドゥルー管弦楽団を指揮しているといいますから、知ってびっくりする経歴の持ち主です(作曲者の名前は「おおさわ ひさと」と読むものと思っていましたが、どうも今回配布されたプログラムからすると「おおざわ ひさと」が正解みたいですね)。

2月23日(日)午後3時から行なわれる第2回演奏会は、今回と同じ紀尾井ホールで行なわれます。今度のプログラムは、早坂文雄の《讃頌祝典音楽》(1942年)と信時潔の《海道東征》(1940年)です。こちらも注目です。
【2003年2月3日】


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