第61回 : サマーフェスティバル2002の『ケージ特集 管弦楽』(サントリーホール)

久しぶりにサントリー音楽財団のサマーフェスティバルに行きました。今年は、テーマ作曲家としてメシアンとケージが取り上げられているのですが、8月28日(水)には標記のコンサートがありました。ケージの作品は少しだけ聴いたことがありますが、管弦楽作品は未だでした。チラシを眺めているうちに、「うん、これは聴きたい」(聴きたい、という表現が適当かどうかも聴いてみなければわからないわけでしょうが)と思ったのでした。プログラムは、次の3曲でした。

 四季(1947)
 プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲(1951)
 ピアノとオーケストラのためのコンサート(1954-58)
指揮:高関健  ピアノ:高橋アキ(2)、一柳慧(3)
管弦楽:東京都交響楽団

《四季 The Seasons》は、ニューヨーク・シティ・バレエ団の委嘱により作曲されましたが、ケージにとって初のオーケストラ作品だったそうです。「前奏曲−冬−前奏曲−春−前奏曲−夏−前奏曲−秋−終曲」という9つの楽章からなり、続けて演奏されます。私は「冬」から始まるとは、新鮮な驚きを感じました。たしかにどこから始まろうとも一年の四季には違いありません。でも、そういう大雑把な理屈ではなく、なんでもケージは伝統的なインドの四季の循環を選んだのだといいます。各季節ごとにハッキリ違いがわかるところまでは聴きとれませんでしたが、しかし、冬は休止、春は創造、夏は持続、秋は破壊という概念をもっているのだそうす。テンポの緩急が大きないようなので、やや平坦な曲に聴こえましたが、その一方でオーケストラから出てくる音は、意外と(といっては語弊があるでしょうが)綺麗な響きで、まずまず楽しめました。

2曲目は《プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲》。私はプリペアド・ピアノを聴くのが久しぶりで、ボルト、ゴム、木ねじ、プラスティック・ブリッジなどが仕掛けられたその響きを楽しみました。この楽器が生きいきと楽想を奏する第1楽章は印象的ですが、オーケストラはわが道を行く、という音楽なのですね。第3楽章になると、指揮者がオーケストラに向かって数字を示していましたが、これはチャンス・オペレーションによるのだそうです。

休憩を挟んで《ピアノとオーケストラのためのコンサート》が演奏されました。それまで正装で演奏していた奏者や指揮者は、私服に着替えて登場しました。オーケストラの編成は小ぶりで、楽器配置も常識的なそれではありませんでした。たとえば下手の一番奥にチェロ奏者が1名、その手前に打楽器奏者、その前にピアノ奏者などという具合です。指揮者にしてもステージの中央には立ちません。やや上手よりにたっていましたからね。さて、この作品が初演されたのは1958年のことで、その時の録音がCDになっていると解説に書いてありました。その時は、途中から客席が騒がしくなり、笑い声がおこったりして盛り上がり、23分の演奏が終わったといいます(今回は、もっと演奏時間が長くかかりました)。今回の実演では、時折り笑い声が起こりましたが、客席が騒がしくなるというほどではありませんでした。でも、音がどこから出てくるのか、けっこうしっかりステージを見ていないとわからなくなることもありました。また、楽器の音だけでなく、奏者が座っている椅子の足をステージにぶつけて音を発したり、トロンボーン奏者がベルに直接マウスピースを当てて音を出したり、逆にスライドに直接マウスピースを当てたり、その他何種類ものミュートを使うなどして大活躍していました。指揮者の身振りも面白かったですよ。左腕を頭の真上にもってきて、ゆっくりと時計回りに降ろしていきます。左腕が下まで来ると、次は右腕をゆっくり頭上に向かって回していきます。基本は、これの繰り返し。そういえば黄色いカードや赤いカードを持って、腕を回していたときもありましたっけ(私には、意味はわかりませんけれど)。このように、いろいろ観察していて飽きないのですが、初演から44年経ってみるとそれこそ様々な音楽が世に出て、客席が騒がしくなって盛り上がるということは、あまり望めないのでしょうか。そして、おとなしく観察している自分が、どこかもどかしく感じたことも事実でした。

これまで聴いたケージの作品では、《リヴィングルーム・ミュージック》とか《プリペアド・ピアノのためのソナタとインターりゅード》といった作品の方に、むしろ衝撃を受けたものでしたが、しかし彼のオーケストラ作品をいくつかまとめて聴くことができて、よかったです。
【2002年9月2日】


トップページへ
通いコン・・・サートへ
前のページへ
次のページへ