第53回 : ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場公演《サロメ》(武蔵野市民文化会館大ホール)

11月3日、武蔵野市民文化会館大ホールで《サロメ》の公演を観てきました。今回は本題に入る前に少し細かいことから書かせてもらいましょう。この歌劇場は、この日を皮切りに11月22日の愛知芸術劇場まで全国で14回の公演を行ない、うち10回が《サロメ》、4回が《さまよえるオランダ人》と予定されています。実は、武蔵野文化事業団が今回のチケットを売り出したときに「ドイツ国立デッサウ歌劇場」公演として、私たちは知ったのでした。やがて、少し後の時期にオーチャードホールでも《サロメ》と《さまよえるオランダ人》が来ることを知ったのですが、それは「ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場」。この二つが同一の歌劇場を指していると知るまでに、私は少し時間がかかりました。全国を回るときは、後者の長い呼称を使うようですから、標記のように統一しました。

さて、主なキャストとスタッフです。
ヘロデ ハンス=ディーター・バーダー ヘロディアス イロナ・シュトライトベルガー
サロメ エイラーナ・ラッパライネン ヨカナーン ルドミル・クンチュフ
ナラボート レンダル・レイド=スミス 小姓 ヤーナ・フライ
ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場バレエ団
ドイツ・ザクセン=アンハルト・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 ゴロー・ベルク 演出 ヨハネス・フェルゼンシュタイン

開演の少し前、2階左側の私の席に着きました。《サロメ》の公演は、この会場もオーチャードホールも、オーケストラを舞台に乗せる特殊な演出だとチラシに予告してありました。見ると、舞台右奥にオーケストラと指揮者がいます。とはいっても、パーテーションを外して舞台の奥まで使っていましたから、オーケストラが舞台に出張ってオペラそのものの味を損なうようなことはありませんでした。いよいよ開演となり、すごく自然に演奏が始まりました。ナラボートは下手奥のほうを見やるようにして歌っています。ヘロデ王の宮殿は舞台上ではなく下手奥にあるかのように想定されているのです。テンポは、全体的にやや速めといったところだったでしょう。

主役のラッパライネンはカナダ生まれで、元ミス・カリフォルニアという経歴の持ち主なので、スタイルがよいことは事前にわかっていました。歌のほうも頑張っていましたね。前半、ヨカナーンとやりとりをするあたりは、歌唱も演技も可もなく不可もなくといったところでした。ただし、演出はサロメを、なんというか、手練手管を知り尽くした女性として描いていました。

後半、例の7つのヴェールの踊りはこんな具合でした。踊りが始まる直前に、舞台上でサロメに他の出演者が覆いをかぶせ、踊りが始まると、それまで着ていた着衣が外されて、黒い下着姿でサロメが登場します。舞台を走ったり、踊ったりしていましたが、ヴェールを一枚一枚脱いでいくという振付ではありません。踊りの最後、白い布を身体に巻きつけましたが、その直前に着衣をさらに脱いだようで、ぐるぐると巻きつけた布を外していくと裸体になって踊りが終わります。

その後すぐに別の着衣をまとい、ヘロデ王とのあいだにヨカナーンの首が欲しい、いやダメだ、というやりとりが続き、ついに皿に乗ったヨカナーンの首が舞台に現れます。サロメがしばらく歌ううちに、なんと再び着衣を外して裸体になり、舞台の照明がうんと暗くなったのでした。ここは脱がなきゃいけないシーンじゃないのです。でもまあいいかと思いながら見続けたのですが、やはりどこかしっくりきませんでした。というのも、首を相手にしたサロメは、徐々に恍惚としていき、一種アブノーマルな緊張感を高めてきくことに成功していました。ですから、ヘロデ王がサロメを殺せと命じて幕切れになるところも説得力がありました。それだけに、このシーンで中途半端に裸体に気を持たせる演出をしなくてもよかったのに、というのが私の感想(言い訳になりますが、こうやって見せられれば裸体にも気が行きますからね)。

サロメに色目を使う俗物の王様ヘロデが、どういうわけかヨカナーンの聖なる力を怖れ、その首を手に入れて恍惚としていくサロメを「殺せ」と命じる皮肉な結末にいたるまで、全体を通してみれば、私はとても楽しんで今回の公演を見てきました。そんなに有名とはいえないと思える、ドイツの地方都市のオペラハウスがもつ実力をアピールされて感じで、清々しい思いで会場をあとにしました。
【2001年11月5日】


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