第48回 : フェニーチェ歌劇場公演《シモン・ボッカネグラ》(オーチャードホール)

今年は「日本におけるイタリア2001年」のイヴェントが目白押しです。 先日の日伊現代音楽フェスティバルに続いて、7月1日(日)、《シモン・ボッカネグラ》を見に行ってきました。私にとっては初めて見るオペラです。見どころが何箇所もあって、とても面白く見ることができました。今年はヴェルディ没後100年にも当たっていて、フェニーチェ歌劇場は《椿姫》をもう一つの演目として用意してきました。どちらの作品もこの歌劇場で初演したといういわくつきです(《シモン・ボッカネグラ》がこの歌劇場で初演されたのは1857年のことです。でも今回上演されたのは1881年改訂版[ミラノ・スカラ座で初演]です。念のため・・・)。

主なキャストとスタッフは、

シモン・ボッカネグラ アニトーニオ・サルヴァドーリ
アメーリア セレーナ・ファルノッキア
フィエスコ アイク・マルティロッシアン
ガブリエーレ フランチェスコ・グロッロ
パオロ マルコ・ヴラトーニャ
管弦楽 フェニーチェ歌劇場管弦楽団
合唱 フェニーチェ歌劇場合唱団
指揮 レナート・パルンボ
演出 エリオ・デ・カピターニ
装置・衣装 カルロ・サーラ

見ていて面白かった箇所を、あらすじを追いながら振り返ってみます。14世紀のジェノヴァの広場から物語が始まるプロローグ。ここでは野心家パウロがシモンを総督にかつぎだす工作をします。シモンは市民ですが貴族フィエスコの娘マリーアと子まで設けた仲。そのことを怒ったフィエスコは娘を宮殿から出さず、そしてマリーアは死んでしまいます。シモンはマリーアが死んだとは知らずにフィエスコに和解を申し出ますが、孫娘を渡すならばと条件を付けられてしまいます。シモンは、すでに生き別れになったことを告げ和解は成り立ちません。そしてマリーアの死を知り(舞台奥のほうに大きなマリア像が設置されていて、白い幕を外してマリーアの死を知らせました)深く悲しみますが、皆からは「ボッカネグラ総統万歳」の歓声に迎えられます。大きな像にもびっくりしましたが、何といってもシモンとフィエスコのやりとりは、目が離せませんでした。

第1幕はプロローグから25年後という設定です。第1場ではグリマルディ伯爵夫妻の遺児アメーリアと総督シモンが25年前に生き別れた親娘だと解かる場で、第2場ではアメーリアとの結婚話を無いものにされたシモンの腹心パオロが、アメーリアを誘拐しますが、彼女は脱出。総督宮殿にやってきます。パオロは真っ青になりますが、シモンは宮殿にいた代議員にも、また腹心パオロにも犯人を呪わせます。自分が犯人なのに、自分に向かって「呪われよ」というパオロ。その後も代議員たちが「呪われよ」と唱えながら、第1幕が終わります。ここは前半の圧巻で、幕が降りると同時に、まるでオペラ全体が終わったかのような大きな拍手が起こり、ブラヴォーの声がかかりました。ホント、見に来て良かったとつくづく実感した瞬間でした。

第2幕では悪党パオロが、シモンの水差しに少しずつ利いていく毒を入れます。アメーリアの恋人ガブリエーレにシモンは自分が実の父親だと打ち明けます。そこに暴動が起こります。ガブリエーレは暴徒たちに立ち向かっていきます。第3幕は、暴動を起こした犯人がパオロだったこと、シモンの身体に毒が回ってきたこと、アメーリアとガブリエーレが婚礼を済ませてシモンの前に現れること、アメーリアを永年育ててきたアンドレア老人が実はフィエスコであったとシモンが知り、アメーリアが孫娘だと告げること、そしてその夫ガブリエーレを新総督とすることを提案し死んでいきます。第3幕でも、アンドレア老人(=フィエスコ)とシモンのやりとりが再現されますが、このやりとりは、あらすじを追ったくらいでは言い表せない心の動きが感じられ、会場のそこここから、涙を押さえきれない様子が伝わってきます。私も久しぶりに危なかったのですが、しっかり見なきゃ、という思いが勝りました。なお、第3幕で舞台の奥に映し出されたビデオ映像(水面に雨が降るそれで、ちょうど涙を連想させるにちょうど良かったみたいです)は効果的でした。

オーケストラは厚みのある響きで、しかも決して重苦しい響きにはならず、好感がもてました。演出家に対してはブーイングが出ましたが、すぐさま複数の人たちがブラヴォーをかけ、何度かブーとブラヴォーの応酬がありました。他の日は、どんな反応だったのかなと少しばかり興味が湧きました(私自身はブーの理由がわかりませんでした)。
【2001年7月3日】


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