第42回 : 17世紀ドイツ・プロテスタントの受難曲(東京オペラシティ・コンサートホール)

4月13日(金)、久しぶりにバッハ・コレギジウム・ジャパンの定期演奏会(第47回)に行ってきました。この日は、復活祭(今年は4月15日だそうで)を間近に控えた、キリストが十字架に架けられたことを記念する金曜日。今回、バッハ・コレギウム・ジャパンはバッハ以外の受難曲でプログラムを組みました。具体的には、

1.ザムエル・シャイト: 詩篇《イエスが十字架につけられた時》SSWV113
2.クリストフ・デマンツィウス: 《イエス・キリストの受難と死の預言》〜イザヤ書第53章より
3.クリストフ・デマンツィウス: 《ヨハネ受難曲》
4.ハインリッヒ・シュッツ: 《マタイ受難曲》SWV479


コンサートはシャイトのオルガン曲で始まりました(オルガン独奏:大塚直哉)。続く2曲はクリストフ・デマンツィウス(1567〜1643)の作品で、私は生まれて初めて聴く作曲家でした。どんな作曲家だろうと思ってウェブ上で探したところ、Biographisch-Bibliographisches Kirchenlexikon中にあるDemantiusの項目を見つけました(→こちら)。ドイツ語ですが、作品と参考文献がわかります。2曲目の《イエス・キリストの受難と死の預言》は比較的短めの作品でした。3曲目の《ヨハネ受難曲》(1631)は、全篇、合唱とオルガンによって進行され、エヴァンゲリストもいなければ、登場人物が特定の歌手に割り振られているわけでもありませんでした。「聞くがよい、福音書記者ヨハネの伝える我らの主イエス・キリストの苦しみを」と始まるこの受難曲は、以後『ヨハネによる福音書』の18章1節から第19章42節までが歌われ、最後に「私たちは信じます、愛する主よ、私たちの信仰をますます深めてください。アーメン」と曲を閉じます。詳しい人が聴けばこれら2曲の作品にも、きっといろいろな新機軸が含まれているのでしょうが、私には淡々と曲が進んでいるように聞こえてしまい、鈴木雅明指揮するバッハ・コレギウム・ジャパン(オルガン:大塚直哉)の演奏を、ひたすら聴くのみでした。

休憩後は、シュッツの《マタイ受難曲》SWV479(1666)でした。こちらはオルガンさえ含まれない曲なのですね。この団体によるシュッツ演奏と言えば、1997年3月27日に《十字架上の七言》SWV478(1657年以前?)を聴いたことがありました(第29回定期)。器楽を伴った大曲でしたが、今回の受難曲は、当時シュッツが仕えていたドレースデンでの決まりごとで、復活祭を迎える前の週は、オルガンを含むあらゆる器楽は音を出してはいけないとすることが厳格に守られなければならなかったため、こうしたことになったようです。デマンティウスとの大きな相違は、エヴァンゲリストや登場人物がきちんと割り振られていることです。主なところをご紹介すると、櫻田亮(エヴァンゲリスト)、浦野智行(イエス)、上杉清仁(ユダ)、水越啓(ペトロ)。ほかにも2人の偽証人、カイアファ、女中(T、U)、ピラトの妻などが登場します。そして合唱が効果的に使われていること。ことに終曲の合唱(「汝に栄光あれ、キリストよ」)は、しみじみとした曲で印象に強く残りました。付け加えますが、私はこの日、日中からたいそう眠かったのですが、エヴァンゲリストの朗唱に引き込まれて聴くことができましたので、とうとう、眠らずに済みました。

私は信心がないほうなので、こうした宗教作品を聴いて宗教上の喜びを覚えるということはありませんが、ときどきこうした企画に足を運ぶのもいいですね。受難の週を通過して復活祭を迎えるということは、現在まで連綿として続いているわけで、そのなかで音楽もそれ相当の役割を負ってきたと言えるわけでしょう。そして今回は、17世紀のドイツ・プロテスタントと括りながらも、ずいぶん様式の異なる2つの受難曲を並べえて聴けましたし、副産物としてシュッツの受難曲に器楽が含まれていない理由も初めて知りましたし・・・ \(^o^)/
【2001年4月15日】


トップページへ
通いコン・・・サートへ
前のページへ
次のページへ