第41回 : ワーグナーの《ラインの黄金》(新国立劇場オペラ劇場)

新国立劇場では、今年から4年続けてワーグナーの《ニーベルングの指環》を1年に一作ずつ、準・メルクルの指揮、キース・ウォーナーの演出で上演していくことになりました。今年は、序夜にあたる《ラインの黄金》。というわけで、私は4月1日に観てきました。主なキャストは、
ヴォ―タン アラン・タイトス 指揮 準・メルクル
フリッカ 小山由美 管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
ローゲ ヴォルフガング・ミュッラー=ローレンツ 演出 キース・ウォーナー
アルベリヒ オスカー・レッヒブラント
もともと私は、長い物語が苦手で、途中で筋がわからなくなってしまうことが多かったのです。せっかくだから丁寧に読もうと思って、細部にこだわりすぎ、ストーリーを大づかみに把握する力に欠けていたのでしょう。音楽にしても「超」長いのは、やはり敬遠していましたからワーグナーは食わず嫌いの期間がけっこう長く続きました。それが、もう何年前になるでしょうか、3年にわたって行なわれた都響のワーグナー・シリーズから選んで、いくつかのオペラや楽劇のハイライトを聴いて、もうちょっと聴いてみたい、いや観てみたいと思うようになりました。以後、いくつかのワーグナー作品(全曲)のナマの舞台に接しました。

そして今回です。演出上の特色は、舞台の上を紙芝居の台のようにして、ボックス状の意外と狭い空間で楽劇が演じられていたことでした。3人のラインの乙女たちが、アルベリヒをからかいながらうっかり漏らしてしまうラインの黄金の秘密。浅はかの一言につきますね。それにしても河底の水が、小さ目のボックス状の舞台の奥にセットされた画面に映し出されるだけ、というのですから、正直言ってがっかりしました(第1場)。主神ヴォ―タンが巨人族の兄弟に作らせていたヴァルハル城が完成した折に、約束を果たそうとしない態度にみられる、なんともしみったれた狡さ。それも双方が背広を着てのやりとりですから、現代のどこかでも似たことが起こっているのでは? と思わせる演出でした(第2場)。その後、ヴォ―タンとローゲにおだてられて大蛇からカエルに変身したところを簡単につかまってしまうアルベリヒ。案外、思慮深さに欠けるお調子者でした。大蛇のところは客席のあちこちで笑い声が起きました。とてもユーモラスで、セットを充分生かしていたと思います(第3場)。死んでゆくアルベリヒによって黄金にかけられた呪いは、まず巨人族兄弟の仲間割れ(兄殺し)というかたちで犠牲者を産みます。神々は、ヴァルハル城に入場しますが、まあそこは四部作の序夜のこと、将来の不安を暗示して幕です(第4場)。

これらのできごとを、重苦しくならずに、むしろ軽めに、時に笑いさえ誘うような演出を、私は感心して観てしまいました。私は、これまで四部作全体を、荘重で悲劇的なものだという印象をどこかでもっていましたが、こと《ラインの黄金》については、かなり変ったということになります。もっとも、単に、これまでの私がわかっていなかっただけなのかもしれませんけど・・・(汗)。

演奏の方では、何度も聴こえる「アルベリヒの威嚇」のライトモティーフが、ときどき強調されて演奏されているように聴こえた箇所があったのですが、本当にそういえるかどうかは、自信がありません。ライトモティーフをもっとたくさん知ってオーケストラを聴けたらよかったろうな、と思いました。歌手陣については、声もよく響き、心地よく聴けました。あと、私の席(3階1列目)からは断言まではできませんが、準・メルクルは、ひょっとすると暗譜で振っていたのでしょうかね? (譜面台が、少なくとも指揮者の前面には無いように思えましたので)。

来年以降も、四部作を観に出かけてみたいと考えながら帰ってきました。
【2001年4月4日】


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