第33回 : エレン・ファン・リアー、激動の時代を歌う(武蔵野市民文化会館 小ホール)

以前、こんなコンサートを聞いたことがあります。
1992年に来日したミルバが「二つの大戦の間の歌」と題してコンサート・ツアーを行ないました。冒頭は、第一次大戦が終わりましたよ、という意味でしょう、《リリー・マルレーン》で幕を開け、それも空襲を示唆する赤や青の照明を効果的に使ったりしていました。続いて《紅いバラ》《心の王様》《オー・タバレン》《アイ・ガット・リズム》《私の彼氏》《モノム》《雨の中にたたずんで》《キオーヴェ》から《恋する兵士》まで20曲以上のナンバーを歌ったのです。いくらミルバでも全曲を歌いっぱなしという訳にはいかず、時おりインストルメンタルの演奏を挟んでいましたが、ロベルト・シュトルツやクルト・ヴァイルのナンバーまで含む多彩なプログラムであると同時に、強烈な印象を残すものでした。

2000年7月18日(火)のこのコンサートは、第16回<東京の夏>音楽祭(テーマ=「映画と音楽―映画は音楽なしでは生きられなかった」)の特別公演として行なわれました。当夜の公演には「ウィーン一市民の回想 1920−1945」というタイトルが付いていて、ウィーンの一市民が当時を回想するという形をとって、プログラムが組まれました。ミルバとは違った意味で、期待してでかけました。

出演は、ソプラノのエレン・ファン・リアー、ピアノのみどり・オルトナー、朗読の藤堂陽子のみなさんでした。当夜の構成は、みどり・オルトナーさんによります。
プログラムは以下のとおりです。

@エルヴィン・シュールホフ(1894−1942)
  フォックストロット/マキシー (ピアノ・ソロ)  〜《5つのピトレスケ》op.31より
Aクルト・ヴァイル(1900−1950)
  愛しちゃいないわ
Bフリードリヒ・ホレンダー(1896−1976)/フランツ・ワックスマン編
  私は粋なローラ/頭から足の先まで愛している私/金髪娘に気をおつけ
                             〜映画『嘆きの天使』(1929)より
Cエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴールト(1897−)
  《道化師の歌》op.29
  (来るがいい、死よ/おお恋人よ/悪魔みたいな旦那/やあ、ロビン!/だって毎日雨降り)
Dリヒャルト・ヴァーグナー(1813−1883)/フランツ・リスト編
  イゾルデの愛と死(ピアノ・ソロ)  〜楽劇《トリスタンとイゾルデ》より演奏会用編曲
Eハーマン・フプフェルト(1888−1971)
  時の過ぎ行くままに  〜映画『カサブランカ』(1940)より
Fジョン・ウィリアムズ(1932−)
  後奏(ピアノ・ソロ)  〜映画『シンドラーのリスト』(1993)より
Gヴィクトール・ウルマン(1898−1944)
  《5つの愛の歌》op.26a(op.18) (君のその美しさはいずこより/ピアノに向かって/嵐の歌/たとえ何かの美が私を幸せに導こうとしても/おお、美しい手よ)
Hヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
  《イギリス組曲》第2番 BWV.807より プレリュード (ピアノ・ソロ)
Iフランツ・シューベルト(1797−1828)
  《エレンの歌》D.837−839
  (眠れ、戦う者よ/眠れ、狩人よ/アヴェ・マリア)

[ピアノ・ソロと明記したもの以外は、歌とピアノです。]

今回の最大の収穫は、ヴァイル、ホレンダー、コルンゴールト、ウルマンなどの珍しい作品が、エレン・ファン・リアーによって、見事に歌われたことに尽きると思います。

1918年に第一次世界大戦が終わります。ドイツとオーストリアは敗戦で巨額の賠償金が課せられます。チェコ、ポーランドなどの諸国がオーストリアから独立し、ユダヤ人がウィーンへ大挙して移住してきます。ウィーンでは、当時のインフレはユダヤ人のせいだ、とする風評が強かったといいます。しかし、そのおかげで、ウィーンではワルターやクレンペラ−など優れたユダヤ人音楽家の演奏に毎晩のように接することもできるようになったといいますから、皮肉です。やがて、将来を嘱望されていた作曲家、たとえばシェーンベルク、コルンゴールトなどの名がプログラムから消えていきます。コルンゴールドのようにアメリカにわたった人もいれば、ウルマンのようにテレジンの収容所に送られ、人知れず殺された人もいます。そればかりでなく、メンデルゾーンなどユダヤ人音楽家のコンサートで聞けなくなりますが、ヒトラーは芸術を擁護する守護神のように見えたらしいです。だんだん、ユダヤ人に対する迫害がきびしくなり、こっそりとウィーンを抜け出すユダヤ人たちが増えていったといいます。戦争が終わってみると、じっさいには自分たちの顔見知りだった人たちが大勢亡くなっていた、という結びだったように思います。

その朗読は・・・。今回、大切な進行役を担っていたことは、よくわかります。俳優の藤堂陽子さん(文学座)が、ウィーンの一市民の役で、演奏者二人とともに舞台に登場し、下手に用意された椅子に座り、テーブルの上のコーヒーカップをすすりながら先の話を交えるといった仕掛けです。しかし、演奏者と同じ舞台の下手に位置するならば、朗読の時だけ俳優にスポットライトを当てて演奏者の方は薄暗くするなどの仕掛けはできなかったでしょうか? もっと言えば、朗読はバックステージでも良かったのではないかなと思えるのです。朗読者が位置するところにテーブルが用意され、何度かコーヒーカップをすする仕草を見せられたりしました(そんなにたくさんのコーヒーが入るのかな???)。それも演奏が始まってからという時もあり、気が散りましたね。何というか、自然を装って、逆に白けました。

企画と歌手が、とても良かっただけに、今回はグチが長くなってしまいましたm(__)m
【2000年7月20日記】


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