第22回 : ダルラピッコラのオペラ『囚われびと』(NHKホール

NHK交響楽団特別公演で、ダルラピッコラのオペラ『囚われびと』とフォーレの『レクイエム』をひとつの舞台作品として上演するという珍しい試みがありました(1999年12月18日と19日、NHKホール)。チラシなどからも、ひとつの舞台作品として上演するというコンセプトは私には理解できず(たぶん多くの人もそうではなかったでしょうか?)、なんというプログラムだろうかと驚き、行かなくてもいいやとさえ思っていました。しかし、上演のコンセプトを教えてくれる人があり「それならば」と19日に行ってきました。

当日は、シャルル・デュトワ(指揮)、高島勲(演出)、ヘニング・フォン・ギールケ(ビジュアル・アドヴァイザー)のほか、出演はフィリス・ブリン=ジュルソン(母)、デイヴィッド・ピットマン=ジェニングス(囚人、フォーレ『レクイエム』ではバリトン独唱)、ハワード・ハスキン(看守/宗教裁判長)、中嶋彰子(ソプラノ、フォーレのみ)、合唱は二期会合唱団(合唱指揮:三澤洋史)、そしてNHK交響楽団。

ダルラピッコラの『囚われびと』の舞台は、16世紀のスペイン。異端宗教裁判のために捕らえられた囚人が、看守の「兄弟よ」という呼びかけに希望を見出します。やがて囚人は、地下牢から外へ出て自由を勝ち得たと思ったときに、再び看守から「兄弟よ」と呼びかけられる。この看守が実は異端宗教裁判長だったのです。絶望する囚人は「自由?」とつぶやき、幕が下ります・・・というのがあらすじ
しかし今回は、ここで幕は下りません。
休憩なしに、引き続いてフォーレの『レクイエム』に移ります。囚人役を歌ったバリトン歌手が、この作品の独唱者に加わります。そして、人形が事切れた囚人の死体として舞台に投げ込まれていて、母親がかたわらで嘆き悲しんでいる様子が見て取れるように、『レクイエム』がビジュアル化されています。レクイエムの演奏が終わると、囚人が生前の迫害から開放されるというわけですね。

私は、ダルラピッコラの『囚われびと』を初めて見ました。そのせいもあるかもしれませんが、演出は必ずしもわかりやすくなかったと思います。第1場と第2場では、舞台の前のほうに囚人の母親と息子(=囚人)の死体を示唆する人形がすでに並んでいるのですが、この時点では本当の囚人は舞台の奥に用意された独房に入って歌っています。生きているのです。そこに死体を置くというのは、囚人のやがて来る運命を示唆しているのでしょうが、どうもわかりにくかったです(気持ち悪かったといったほうが適切かもしれません)。

フォーレの『レクイエム』をビジュアル化して、ひとつの舞台作品にしたのは確かにひとつのアイデアでした。ただ、約50分で言いたいことを言い切る、そういうオペラとしてダルラピッコラを見てみたいという気持ちが一方に残りました。
ダルラピッコラの『囚われびと』の作品の良さを認識できた一日でした。
【1999年12月20日記】


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