第12回 :昭和"初期"の歌曲とピアノ曲を集めて(カザルスホール)

日経新聞社の主催で、カザルスホールで行なわれている「魅惑の声シリーズ」第3夜に行って来ました(9月14日)。この日は「アジアの風〜昭和初期の日本音楽界(1929−1946)〜」という一夜で、藍川由美(ソプラノ)、斎藤京子(ピアノ)のお二人が登場しました。
まずはプログラム紹介から。
木やり唄(「国頭サバクイ」)/金井喜久子 作・編曲、伊波南哲 採詩 (1937年)
豆が花(宮古島民謡)/金井喜久子 作・編曲 (1938年)
浜千鳥(沖縄本島民謡「チヂュヤー」)/金井喜久子 作・編曲(1940年)
生蕃四歌曲集(Four Seiban Songs)/江文也 作曲(1936年)
台湾舞曲(Formosa Dance)/江文也 作曲(1936年) *ピアノ・ソロ
ギリヤーク族の古き吟誦歌/伊福部昭 詩・作曲(1946年)
ピアノ組曲/伊福部昭 作曲(1933年) *ピアノ・ソロ
「春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」より"うぐひす"/早坂文雄 作曲、佐藤春夫 詩 (1944年)
舞〜六代目菊五郎の娘道成寺によせて/橋本國彦 作曲、深尾須磨子 詩 (1929年)
昭和は長かったです。初期、中期、後期と分けるならば、約20年が単位となる計算になりますね。このタイトルを見て、改めて計算しなおしたしだいです。今回のコンサートではピアノ・ソロも交えていました。
今回のプログラムをみると、伊福部、早坂、橋本といった3人の歌曲は、私もこれまでに藍川さんを含めて実演を聴いたことがありました。しかし、金井喜久子はとても珍しい気がしますし、江文也にいたっては、9月11日の「朝日新聞」夕刊を読んでびっくりしたのですが、戦後初の演奏会だといいます。
金井喜久子。この人は宮古島に生まれ、オーケストラ曲から歌曲、ピアノ曲までこなす創作活動をしたことに加え、指揮などもした人らしいです。東京音楽学校に学びました。江文也は、台湾出身(当時は日本の植民地!!)で、東京音楽学校に学びました。山田耕筰、橋本國彦らに師事。ベルリン・オリンピックにオーケストラ曲「台湾舞曲」を出品し、師の山田や諸井三郎らを押さえて銅メダルを獲得したそうです。

藍川由美さんは身体でビートをとりながら歌う人です。今回もそうでした。詩が身体にしみこむほどに読みこんでいるのだろうと思わせます。ピアノの斎藤京子さんもきっと詩を充分に読みこなしたに違いないと思わせる好サポートでしたし、ピアノ・ソロのときなど、会場からは割れんばかりの大きな拍手とブラボーがかかっていました。

企画も良し、演奏も良しといった一夜でした。
【1999年9月15日記】


トップページへ
通いコン・・・サート
前のページへ
次のページへ