第96回:東京府美術館の時代1926-1970(東京都現代美術館)

先日、標記の展覧会に行ってきました。展覧会の会期は2005年9月23日(金・祝)〜12月4日(日)までで、休館日は毎週月曜日。観覧料は大人1000円です。

ところで、この展覧会、なんと不思議なタイトルだとは思いませんか? たしかに東京府美術館は1926年に上野公園内に建てられましたが、1943年に東京都美術館と改称されました(名称は変わりましたが、建物は同じです)。それが戦後もずっと後になって、1975年に現在の東京都美術館ができ、そのすぐそばにあった旧東京都美術館は(図録によれば)翌76年に解体されたというのです(展覧会の公式HPでは1977年が解体終了の年と読めます・・・)。となると、東京府美術館ができてから解体までは50年の時間があったことになりますから、単純に考えれば展覧会のタイトルは「1926−1970」ではなく「1926−1976」と付けられそうなものですが、そうではありません。この謎はあとで解くとして、もう一つ、東京府美術館から旧東京都美術館が収蔵していた美術品は、新しい東京都美術館を経て、1995年にできた東京都現代美術館に引き継がれたのでした。とまあ、ここまで私は美術館という建物に中心を置いて述べてきました。

しかし美術館で重要なのは、そこで行われる催し、すなわち展覧会ですね。今回の展覧会では、1926年(ちなみに治安維持法ができた翌年)に行われた「第一回聖徳太子奉讃美術展覧会」(これは開館記念の展覧会でした)、1940年の「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」、戦後の1949年から63年にかけて行われた「日本アンデパンダン展」(途中から「読売アンデパンダン」と展覧会の名称を変更)、そして大阪万博と同じ1970年に行われた「第10回東京ビエンナーレ 人間と物質」展という4つの展覧会を再現し、約200点の作品を回顧しています。展覧会のタイトルに「1926−1970」と付いている理由は、どうも回顧した4つの展覧会のさいしょとおわりの年を表したものだと考えることができそうです。

そう、今年は2005年ですね。都の現代美術館が開館してから10年経ったわけです。今回の展覧会は上に述べたようなもろもろの事情を含んで、東京都現代美術館の開館10周年を記念する催しとして開催されています。

えらく前置きが長くなりました(汗)。会場に入ると、まず東京府美術館の平面図や当時置かれていた机や椅子が展示されていました。会場の解説から、美術館の来歴がわかる仕組みになっています。それによると、それまで日本には恒常的に使える美術館がなく、この美術館が日本で初めて恒常的に存在する美術館として誕生したのでした。その記念すべき施設を建設するために、ポンと大金を出したスポンサー佐藤慶太郎や、設計者岡田信一郎についての説明を読んだり写真を見たり。

次のコーナーは「佐藤慶太郎室」。そうです、スポンサーの名を冠した記念室が1953年にできたというのです。東京府美術館は積極的にコレクションを購入することはしなかったそうですが、そうはいっても、作家から寄贈を受けることが増えて、収蔵品はもっていたというわけです。戦後それらの作品や新たに収集した作品、それに関連資料を集めたり陳列したりするスペースとして、この部屋を開設したといいます。以後のコーナーは、先に述べた4つの展覧会が順次回顧されていきます。

さいしょのコーナーでは、長谷川利行が《府美術館》(制作年不詳 油彩/カンヴァス)で美術館の外観をえらく丁寧に描いているのに出くわしました。新宿を描いた作品群などをつい思い出したのですが、もっと速くて粗くさえみえる筆致とは対照的でした。「佐藤慶太郎室」のコーナーでは、描かれた年代が古い方から言えば、五姓田義松が1881年に描いた《清水の富士》あたりから大沢昌之が1963年に描いた《つの》あたりまで、ぎゅっとコンパクトにまとめられていて、見ていて楽しかったです。

4つの展覧会は、それぞれの時代を自分なりに想起しながら見て回りました。特に1940年の「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」は時代が時代だけに、少し時間をかけて見たつもりです。荻須高徳という長くパリで活躍した画家の《モンマルトル裏》(1940年 油彩/カンヴァス)というのがあり、どんよりと曇った空と街並みが描かれた作品なのですが、じっくり鑑賞できる作品でした。なんというか、ちっとも紀元2600年という概念を意識しないで制作したように思えてしまうくらいの絵だったのです。

戦後の展覧会も面白いのですが、1970年の「第10回東京ビエンナーレ 人間と物質」展からは河口龍夫の《陸と海》という26枚の写真パネルが印象に残っています。海岸の波打ち際の状態の変化を多少アングルを変えながら撮っているのですが、見るものは四角く1周まわるように歩いていきます。見ようによっては循環しているようにも思えて(歩きながら見ている最中にそのように思いました)、もう1周してしまいました。でも、1周で終わらせて先に進むよりも面白かったですね。

明治初年の日本人画家の作品から、戦後も大阪万博(70年安保の年でもある)と同じ年の作品まで概観すると、美術の質が大きく変わっていることが伝わってきます。美術館が時代から受けた制約の一端が、特に戦前の展覧会回顧からは伝わってくるに違いありません。ただ、くわえて言うと、4つめの展覧会の回顧をしているときに、当時すでに高校生だった私にしてみれば、1970年という年が大阪万博の年であると同時に70年安保の年でもあって、政事の動きを横目で睨みながら制作に腐心している美術家の姿がそこにあるようにも思えてなりませんでした。


トップページへ
展覧会の絵へ
前のページへ
次のページへ