第95回: アジアのキュビスム(東京国立近代美術館)

9月になって1週間以上経ちましたが、そういえば8月に行った2つの展覧会のうち標記の展覧会についてまだ書いていませんでした。簡単にまとめておきましょう。8月9日にスターした本展覧会の会期は、10月2日(日)まで。休館日は毎週月曜ですが、9月19日は開館して翌20日が休館となります。観覧料は一般(当日)650円でした。

「境界なき対話」というサブタイトルがついた本展覧会は、アジア11ヵ国から120点の作品が出品されています。11ヵ国とは、中国、インド、インドネシア、日本、韓国、シンガポール、マレーシア、スリランカ、フィリピン、タイ、ベトナムなのですが、スリランカの近代美術が国内の美術館で紹介されることは珍しいらしいです(主催者による)。どんな作品が展示されているのかという興味がそそられます。しかも、“キュビスム”です。キュビスムというと、私の場合、ついピカソやブラックの多くは静物画を想起してしまいますが、アジアのキュビスムとくくったときにどのような作品が並ぶのか、皆目見当がつかないまま出かけました。

会場に足を踏み入れると、国別や作品の制作年代順に展示されているのではなくて、テーマ別になっていました。具体的には、

第1章 「テーブルの上の実験」
第2章 「キュビスムと近代性」
第3章 「身体」
第4章 「キュビスムと国土(ネイション)」


というものでした。章立てのタイトルだけ見ていても、いまひとつピンと来ません。どのような作品と出会えたのか、メモしておくことにします。

第1章「テーブルの上の実験」は、要するにキュビスムによる静物画。一例を挙げれば、スリランカのジョージ・キート(George Keyt 1901-1993)による《マンゴーのある静物》(1933年 油彩・キャンバス)。この絵に描かれているのは、テーブル(一部)、マンゴー、花瓶、団扇といった静物です。きれいな茶系の色彩となだらかな線が見てとれます。そうはいっても、キュビスムの作品ですから、たしかにキャンバスのうえには四角っぽい線が何本か認められます。ただ、その線はやはりなだらかで、画面全体から角張った印象を受けないのです。こうしたキュビスム体験は初めてで、一方で新鮮な印象をもちつつ他方でこういうのもキュビスムの範疇にはいるのか、とちょっと不思議な感覚にとらわれました。

私がイメージしていたキュビスムというのは、平面の画面に幾何学的な線や面で区切のようなものを描いて、あるものや人物を多角的に描き、見る側がそのイマジネーションを使って描かれた立体性を組立ていく絵画作品だというくらいに考えていました。いま書いた「区切り」は、(キュビスムの名称からも想像できるように)四角いそれであると私は思っていました。先ほどのキートの作品に限らず、本展覧会では、いままでの私がもっていたキュビスムに対するイメージを覆すというか、広げてくれる作品が多く展示されていました。

第2章「キュビスムと近代性」。この章全体を見て気付くのは、日本や中国などは1920年代からこの種の作品が残されているのに対し、1950〜60年代の作品が多く展示されている国や地域がさらに多いということです。すなわち、近代化(もっと簡単に言うと都市化といえるでしょう)の実現にそれだけ時間差があったということを意味しています。ということは、キュビスムはアジア各国や各地域の近代化を絵画にしていくときに適ったスタイルなのかもしれないいう気にさせられました。この章では、インドネシアのハンドリオ(Handrio 1926- )による《四重奏》(1957年 油彩・キャンバス)を挙げておきましょう。男性4人の弦楽四重奏(団)を描いた、すっきりとした仕上がりの作品でした。

第3章「身体」からは2つの作品を挙げておきます。一つは坂田一男(1889-1956)による《キュビスム的人物像 1》(1925年 油彩・キャンバス)です。いかにもキュビスムという作品でした。もう一つはフィリピンのヴィセンテ・マナンサラ(Vicente Manansala 1910-1981)による《母子》(1966年 油彩・キャンバス)です。背を向けて方をはだけた母親が赤ん坊に乳を与えているシーンで、画面全体に透明のキューブが描かれている絵です(こういうのを透明キュビスムというのだそうです)。フィリピンではキュビスムで描かれた母子像が宗教的意味合いをもって、人気を呼んでいたそうで、そうした作品に属するのでしょう。それにしても、世俗と宗教的側面をあえて同居させたような絵画となっていました。

第4章「キュビスムと国土(ネイション)」に行きましょう。アジアにおけるキュビスムは歴史的事件や伝統的な風物、農村の暮らしといったものもテーマにしていきます。そうした種類のキュビスム作品が見られる章です。一つ例を挙げると、シンガポールのチョン・ソーピン(Cheong Soo Pieng 1917-1983)による《小川》。画面に多少デフォルメが施されているように見えますが、その周辺をよく見て味わうといった作品で同種の他の作品と見比べられるようになっていたような気がします。

ちょっと戸惑う瞬間もありましたが、好企画だと思います。
【2005年9月8日】


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