第88回:マルセル・デュシャンと20世紀美術(横浜美術館)

横浜美術館では3月21日(月・祝)までの会期で、標記展覧会を開催中です。観覧料は一般(当日)1200円ですが、帰宅してから割引制度に気付きました。この美術館の本展のコンテンツ中に「チェックシート・プログラム」の「マニュアル」というのがあります。そこに一人1回に限って1000円になると記載がありましたのでご報告をしておきます。それと木曜日が休館日です。お間違いなく。

マルセル・デュシャン(1887−1968)。便器を《泉》と題して世に発表したことで有名な人物ですね。既製品を使ったアートで、美術の既成概念を壊しました。これまでにも展覧会で既製品をつかった作品を見たことが何度かありましたが、その全体像までは知りませんでした。ちょうどいい機会だと思えてでかけたのです。今回はデュシャンの主な作品が75点、それにくわえてデュシャンと向き合った20世紀後半から現代までの芸術家34人による78の作品が展示されていて、デュシャンと他の作家の作品を対比して見られるような工夫も凝らされていました。展示に関しては一応章立てがなされています。次のような流れでした。

1.画家だったデュシャン
2.レディ・メイド(既製品を用いた芸術作品)
3.《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称「大ガラス」)とその周辺
4.ローズ・セラヴィ(デュシャンの女性分身)
5.《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》制作放棄以後
6.デュシャンへのオマージュ
7.《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》(遺作)とその周辺


まず、展示の流れに沿ってどのような作品が展示されていたかまとめておきます。そのあとでデュシャンと他の作家を対比してみる工夫がされていた点についても簡単に触れることにしましょう。

デュシャンも、さいしょは画家としてスタートしたのです! その時代の作品をまとめたコーナーが「1.画家だったデュシャン」でした。1912年に制作された《階段を下りる裸体 No.2》(油彩/カンヴァス)をアンデパンダンテ展に出品したところ、キュビズムの大家であった展示委員たちから自分たちの主義とは異なる未来派的な作品とみなされ、作品を引き上げるよう要求されたのでした。傷ついたデュシャンは絵画制作から遠ざかることになります。しかし、デュシャンは早くも1913年に、既製品をつかったアート作品をつくっています。今回見たのは1964年に再制作したものなのですが《自転車の車輪》と命名されていました。脚が4本ある木製の丸椅子の腰をかける箇所に自転車の車輪を一つ、逆さまに固定してある、そうした作品なのです。単に既製品を組み合わせただけと見る向きもあるでしょうが、その発想や見せ方は、既製品をごく普通の用途に用いるのと違って、言ってみればどこかしらシュールな組合せや見せ方をしているのです。だから、私としてもちょっと考えながら隅から隅まで見ることを繰り返しました。それが「2.レディ・メイド(既製品を用いた芸術作品)」の章で、このコーナーの作品は興味深く見ることができました。

次のコーナーは通称「大ガラス」と呼ばれる規模の大きい作品で、自身が制作した他の作品からの引用も含まれているのですが、1923年、制作を放棄してしまいます。私にとっては、タイトルとの連関をどう捉えたらよいかわからずじまいに終わった作品でした(残念!)。またデュシャンはローズ・セラヴィという女性名で作品を作ったりもしました。それらの作品が「ローズ・セラヴィ(デュシャンの女性分身)」で見ることができます。「大ガラス」制作放棄以降の作品を見、デュシャンへのオマージュを見たあと、さいごの章「7.《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》(遺作)とその周辺」へと進みます。ここでは何と言っても遺作が脳裡に焼き付けられましたが、小さな《排水栓》なども違った意味で印象に残りました。

さて、ここまでデュシャンの作品に焦点を当てて書いてきましたが、「6.デュシャンへのオマージュ」を除く各章で、デュシャンに影響を受けた後の作家たちの作品がデュシャンと対比できるように展示されていて、しかも会場を見て歩きながら、用意されたマニュアルを読みながらチェックシートに書き込んで対比するという仕掛けがありましたから、これにトライしてみるのもいいでしょう。私が本展を訪れたのは土曜日の午後で、順路にしたがって展示を見始めた頃、「デュシャン・サタデー・セッション」なるものを行うという館内放送がありました。ちょうどセッションが始まる午後3時ちかくでしたので、これ幸いと参加しました。この催しは、さきほどのチェックシート片手に、デュシャンと他の作家の作品を何組か対比しながら、来館者と本展の企画に携わった学芸員の方で議論をしながら作品を鑑賞しようという試みで40分ほどが予定されていました。こう書くとえらく堅苦しく思われるかもしれませんが、そうではありませんでした。

たとえばこんな具合でした。デュシャンには《排水栓》(1964年 鉛)という作品(職人に作らせた製品だそうで)があります。これを適当な高さの台の上に置いて展示してありました。これもアート作品だぞ、というわけです。対比した作品は、ロバート・ゴーバー(1954−)の《排水口》(1989年 シロメ)という作品(レディ・メイドだと思います)でした。排水口を壁の150pあたりの高さの箇所に埋め込むようにして展示してあるのです。前者にはガラス・カバーもかかっていて、ジュエリーショップのというと言い過ぎでしょうが、時計店の商品かと錯覚するような展示の仕方です。そう考えると、日常性を超えてちょっとシュールな感じがしてこないわけでもありません。とまあ、奥歯に物が挟まったようないい方になってしまうのですが、後者はディスプレイの方法も手伝って(こうするよう作家から指定があり、勝手に床面に置いたりできないそうです)、壁の向こう側はどうなっているのだろうという気分にさせてくれました。この日、私が参加したセッションのほかの3組の対比では、どちらかというとデュシャンの作品の方が対比した作品よりも好印象をもって受け入れられていたのですが、これに関しては、ゴーバーの本歌取りの方が一段上という印象を与えてくれました。私も同様の感想です。学芸員の方が解説をする試みは、いまや一般的となっていますが、今回のような試みは今後も時宜を見てつづけてほしいと思いましたし、もっと言えば、他の美術館で採用することも考えてもらえたら現代美術など楽しめるきっかけが得られるだろうなと思いました。

それにしても、現在の企画展がデュシャンとその後のアーティストたちに光を当てたかと思うと、次回企画展は今春開催される「ルーヴル美術館展」なのです(美術館のHP参照)。こちらも楽しみです。
【2005年2月9日】


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