第87回:HANGA 東西交流の波(東京藝術大学大学美術館)

会期終了が迫っていることに気づき足を運んだのが標記の展覧会でした。その会期ですが、来る1月16日(日)をもって終了となります。休館日は1月11日(火)、観覧料は一般が1000円となっています。本展は昨年11月13日に開始されたものでしたが、うかつにも気付くのがちょっと遅れました。入場券を見ると歌麿の浮世絵(美人画)とロートレックの描いた人物画(婦人)がならんで印刷されていて、なるほど「東西交流」を暗示しているかのように思えたのです。そんな超単純な理由から行こうと決めたのでした。

私が予想していたのは、単純に浮世絵がヨーロッパ絵画に与えた影響を実際に作品で見せてくれるのだろうということくらいでした。確かにそれもありましたが、会場に行ってみると、サブタイトルにみられる「東西交流」というコトバは、もっと双方向からのものだとわかりましたし、しかもその範囲は現代にまで及んで版画の東西の交流を追っていました。大ざっぱに表現すると二部構成をとっていて、第T部では江戸後期から創作版画時代までが、第U部では第二次世界大戦から現在までの版画が扱われていたのです。

もちろん絵画でも彫刻でも、東西交流という要素を探して展覧会を行なうことはできるでしょうし、事実、そうした展覧会は過去にありました(1996年の「交差するまなざし〜東京国立近代美術館・国立西洋美術館所蔵作品による」が頭に浮かびます。この展覧会は東京国立近代美術館のサイトの「情報検索」中にある「過去の展覧会情報」に納められていて、一部作品の図像も見られます)。しかし、版画は複数同じものを刷ることができるため、鎖国下の長崎にも入り、蘭学や洋風画を誕生させる力となったようです。そんな解説を頭に入れて会場を回り始めました。

会場の要所要所にある解説は読み落とせませんでした。江戸中期から後期の浮世絵師ばかりか蘭学者も含めてヨーロッパの遠近法を研究し始め、展示された浮世絵を見ると「線遠近法」と呼ばれる技法が使われていました。軒や廊下の線を画面奥のほうまで目で追っていくと1箇所にまとまる、そんな技法のようです。画面に描かれた人物やその他のモノたちまで遠近法が貫徹されていないように見えましたから、こんな呼称があるのでしょう。これなど西からの影響です。中国には画家でもあったキリスト教宣教師が入っていったそうで、蘇州などでは日本よりも遠近法の影響が色濃くみられるらしいのですが、肝腎の作品がごくわずかしか展示されていなかったため、ちょっとわかりにくかったです。このあたりまでは、本題に入る前の前史の確認といった色合いが濃かったように思います。

次いで、浮世絵がヨーロッパの画家たちの作品に与えた影響を具体的に見て行けました。ただ、作品によっては、過去に別の会場で行なわれた展覧会で見たことがあるなというものも含まれていて、正直なところ新鮮味を感じたというわけではありません。しかし、浮世絵の主題が遊女、役者、旅の風景といった、限りあるこの世の美と、そこに生きる喜びだったという説明を読み、同時にマネ、セザンヌ、ゴーガン、ファン・ゴッホやその同輩や後輩たちの作品で取り上げられている主題を思い浮かべると、似通った点があることに驚きました。たしかに19世紀末のフランスあたりの絵画や版画では娼婦、ダンサー、サーカスの芸人といった対象が主題に取り上げられるようになってきましたから、神仏や権力者、あるいは英雄や神話世界や歴史上の舞台などから、この世の、しかも弱い立場の人間に美術作品の主題が広がっているところに共通した点があるわけですね。私は江戸時代の文化についてほとんど知ることなくきてしまったので、なにか新しいことを見いだしたかのような気分にさせてもらいました。第U部のほうではここまで強烈な発見ができなかったもので、私にとっては第T部のほうが興味深かったわけです。

第2部は3階に移ります。そこではまず、棟方志功の《二菩薩釈迦十大弟子》が展示されていました。1930年代から40年代にかけて制作された力作です。浜田知明の《初年兵哀歌》(1954年、エッチング、アクアテント)や浜口陽三の《さくらんぼと青い鉢》(1976年、メゾデント)など印象に残る作品を挙げようと思えば、ほかにいくつも挙げられますが、現在に近づけば近づくほど、東西交流が絶えず行なわれて今日にいたっていると理解していいのか(主催者はそう主張しているようにお見受けしました)、すでに東西交流という枠が取っ払われているのか、どちらなのだろうかという思いを拭えず、また答を出せないまま美術館をあとにしました。
【2005年1月10日】


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