第78回:再考 近代日本の絵画 (東京藝術大学大学美術館)

去る4月10日から標記の展覧会が開かれています。会期は6月20日(日)までで、月曜が休館日です。さて、この展覧会の特徴は、会場が2ヵ所に分かれていることです。第一部の会場は東京藝術大学大学美術館、第二部は東京都現代美術館です。2館あわせて見終わると、なんと600点ほどの作品を目にすることができるのです。観覧料は、2館共通券というのがあり、一般(つまり大人)が1500円。どちらか一方しか行かない(あるいは行けない)という人のためには単館券が用意されていて、一般1000円となっています。主催は、東京藝術大学、(財)東京都歴史文化財団、東京都現代美術館、(財)セゾン現代美術館。それに東京国立近代美術館が出品協力館に名を連ねています(ほかにも協力館や協力者は大勢いるみたいですけれど・・・)。今回は、第一部を取り上げてまとめておきましょう。

第1部では次の4つの章立てがなされていました(第2部の章立ては、なんと11もあってびっくりしましたが、そのご紹介は次回です)。

第1章 博覧会美術
第2章 アカデミズムの形成
第3章 風景論
第4章 静物論


「第1章 博覧会美術」は、美術作品の発表の場としての博覧会ということを教えてくれました。殊に明治時代には、意味を持っていたのでしょう。高橋由一の《甲冑図》(1877)や五姓田義松の《清水の富士》(1881年)といった絵画などを見ることができますが、旭玉山の《人体骨格》にもっとも興味を惹かれました。これは絵画作品ではなく、椅子の上に骸骨をすわらせた作品なのです。人体の仕組みを啓蒙するための作品だったのだろうか、と疑問を持ったのですが、変な言い方ですが愛嬌があってかわいらしく感じました。

「第2章 アカデミズムの形成」は、画材や作画技法の違いから「西洋画」と「日本画」が区分され、東京美術学校ができた明治中期から後期の絵画を追うことができます。ふと気付くと山本芳翠の《西洋婦人像》(1882年)と《浦島図》(1893年)の2作品が、少し離れた位置に展示されていました。前者は、ヨーロッパの色白の美人が描かれた作品です(実物は画集などで見たイメージよりもちょっと色が褪せて見えましたが・・・)。一方、後者は横長の画面に海と暗雲が描かれています。そして海には大亀の背中に乗り手に玉手箱をもった浦島太郎が立っていて、海中には竜宮城の乙姫たちが数え切れないくらい浦島につづいているのです。まあ、ざっといえばこんな作品なのですが、前者にはないバタ臭さを感じますし、画題の選び方がどうしてこんなに違うのだろうと驚かされます。今回の展覧会では図録を読んでも、作品一点一手についての細かい事情は書いてありません。しかし、以前別の展覧会で後者を見たときの解説には、当時は、西洋絵画に対する厳しい批判が巻き起こった時期に当たり、西洋画の画家たちも画題の選択などに気を遣ったといった内容の記述を読んだ覚えがあるのです。この章は、「日本画」の創造、19世紀末−近代化の初夜、1900年東京美術学校西洋画科、20世紀/浪漫主義=歴史主義、といった小さなまとまりに分けられていました。本展では、私は一番興味深く見てきたところです。

「第3章 風景論」と「第4章 静物論」は、半分流すように見て回りました。浅井忠の《収穫》(1890年)や萬鉄五郎の《地震の印象》(1924年)、それに靉光の《眼のある風景》(1938年)などが記憶に残りました。「静物論」のほうは、静物画というものが欧米経由で来たのか、ということに気付かされました。静物画に描かれる楽器や草花などは、人生の短さやはかなさを象徴しているケースが多いわけですが、少なくとも日本的な発想ではなかったということでしょうか。そんな思いをもちながら見始めたとたんに目に入ってきたのが、小代為重の《静物》(1891年)でした。画面左下には楽器(琵琶でしょうか)、右上には花瓶に生けられた花。季語を重ねるかのごとく、人生の短さやはかなさを強調しているように感じて、苦笑いを浮かべてしまいました。

第二部は東京都現代美術館に移動することになります。項を改めて書きますので、今回はこの辺で。
【2004年5月23日】


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