第76回 : 国吉康雄展(東京国立近代美術館)

去る3月23日(火)から5月16日(日)までの会期で、標記展覧会が開かれています。今後の休館日は4月19日(月)と26日(月)、5月にはいると6日(木)と10日(月)です。観覧料は一般(当日)が1300円。昨年この美術館( http://www.momat.go.jp/ )の企画展に来て払った観覧料が1200円、数年前は830円ほどで入れたのですから「高くなったな〜!」と思ったものです。それと私は後で気付いたのですが、この美術館のHPにつなぎ、「国吉康雄展割引券」http://www.momat.go.jp/Honkan/Kuniyoshi/index.html#discount )のページをプリントアウトしていきチケット売り場で提示すると、なんと200円ディスカウントの1100円で観覧できます。お得です・・・(うーん、無念)。

国吉康雄(1889−1953)は今年、没後50周年を迎えた画家です。1906年、17歳の時に単身アメリカに渡り、やがて美術を学び画家として一本立ちします。若い頃は生計を立てるために、写真のアルバイトをしたこともあったそうで、1935年には自分でライカを購入しています(ところが日米関係が悪化して、1941年には没収されたというのですね)。渡米後、1931年に一度だけ帰国したことがありますが、日本になじめず再度渡米。以後、日本の土を踏むことはなかったといいます。私が、国吉の作品に初めて接したのは、1995年に練馬区立美術館で行われた「アメリカン・シーンの日本人画家たち」展でのこと。戦前のアメリカ(一人はメキシコ)美術界で活躍した5人の画家たちを取り上げたのですが、国吉は単にその一人というだけでなく、野田英夫、北川民次とともに印象に残りました。そして、今回は私にとって初めての国吉の個展、絵画だけでざっと100点、くわえて国吉撮影の写真が展示されていました。

さて会場の中は、次の3つのセクションに分けられていました。

  T.いのちの海岸
  U.社会の荒海
  V.いのちの島の建設

「T.いのちの海岸」は1910−20年代に描かれた国吉の若い頃の作品が見られます。9年前の私の国吉体験で一番記憶に残っていた作品が、この年代のものでした。この時期の国吉の作品を特徴づける2つの特徴を挙げておきましょう。第一に手前にあるものを画面の下方に、遠くのものを上方に書く遠近法です。第二にフォーク・アートからの影響がみられるという特徴です。つまり専門的な訓練を受けていない人々の手によって制作された美術品を指すというのです。実は、私自身、フォーク・アートについて知らないので、残念ながら受け売りしかできません。『二人の赤ん坊』(1923年 油彩/カンヴァス)は、タイトルどおりの絵画です。しかし、二人とも世の中にちょっと疲れた大人の顔をもっているといえる気がします(そう見えるものですから、ちょっと気味悪い感じが残ります)。同様のことは『子供』(1923年 油彩/カンヴァス)にも言えます。残念ながら、どうしてこういう作品を描いたのかという理由までは、わからずに帰ってきました。ユーモラスな作品としては『水難救助員』(1924年 油彩/カンヴァス)が一押しです。海から顔を出した岩の上でしょうか(なぜかソファのようにも見えます)、一人の若い女性が座って両手で髪をすいています。その背後から男性の水難救助員が顔を出し、女性の胸の谷間あたりに視線を向けています。その表情がマジメに見えるだけに、よけい可笑しさが増してしまう、そんな絵だと申し上げておきましょう。

「U.社会の荒海」は1930−40年代の作品。この間に国吉はパリに滞在したことがあり、作風や主題が変化していきました。サーカスやカフェなど都市に生きる女性たちの、どこか物憂げな表情やしぐさを描くようになり、人物像じたいの描き方が洗練された度合いを増します。また静物画も増えたように思います。が、これは本展覧会に展示された作品だけで言い切っていいかどうかは別問題ですね。そんな女性像の中から敢えて挙げるならば『カフェ』(1937年 油彩/カンヴァス)にしておきましょう。いすに腰掛けて見る者に背を向けていたはずの女性が、振り返ったところです。どこか倦怠感が漂っています。フランス印象派あたりの絵画にもこうした類の作品はあるな、と思いながら見ていました。つまり、そんな比較をしながら見てしまうと、国吉の独創性がどこにあるのかよくわからなくなってしまったのです。でも、作者自身はたくさん描いた女性像について、特定の人物ではなく普遍的な女性を描くのだと言っていたのです。

「V.いのちの島の建設」は1940−50年代の作品です。廃墟や荒れ地が戦中期や戦後に描かれていました。またこの時期になると、作品に赤が占める割合が大きくなってくるようです。『飛び上がろうとする頭のない馬』(1945年 油彩/カンヴァス)のように、頭のない馬が前足を高く上げて、いままさに飛び上がろうとしているシュールな作品すら描かれるようになるのです。いろいろな小道具が周りに描き込まれていますが、その意味もちょっと見ただけではわかりません(図録の解説を読むと少しわかるようになりました)。そうした意味で、難解な作品が増える時期でもあります。

見終わってから、会場で企画展のグッズを販売しているコーナーがあったので寄りました。図録や絵はがきはもちろん、画集や評伝の類も販売されていました。戦前から戦中にかけて、日本排斥の動きが強まったアメリカ合衆国で、画壇の高い地位を占めつつ画業を残した国吉康雄という作家は、私にとっては興味の尽きない画家となりました。というわけで、1冊文庫本の評伝を求めてきました。
【2004年4月17日】


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