第74回:東山魁夷展(横浜美術館)

この展覧会の会期は来る2月24日(火)までで、休館日は毎週木曜日。観覧料は一般(当日)が1300円となっています。1999年に亡くなった東山魁夷の、没後初めての総合的な回顧展となるそうです。会期の前半(2004年1月5日〜2月4日)と後半(2月6日〜2月24日)では、約30点が展示替えとなっています。私が見たのは後半に入ってからでした。会場の横浜美術館は、以前は桜木町から歩いていったものですが、開通して間もない「みなとみらい線」のみなとみらい駅で降りると目と鼻の先。であるにもかかわらず、最短の通路がないため、わざわざ「コ」の字型に歩いて行かなければ辿りつきませんでした(でも、ずいぶん楽になりましたね)。

本展に充てられた展示室は4つ。会場の内部は、特に章立てはありませんでした。強いて言えば、3つの展示室は繋がっていて絵画がまとまっているのですが、4つめの展示室は少しだけ離れていて、そこに唐招提寺におさめた障壁画がまとまっていました。

本展(後半期)で見られる作品をいくつか拾ってみましょう。戦前の《スケート》(1932年)や《凪》(1940年)、戦後になって初めての日展受賞作《残照》(1947年)、北欧旅行が契機になって生まれた《森のささやき》(1963年)や《白夜光》(1965年)、京都をテーマにした《曙》(1968年)や《花明り》(1968年)、中国を描いた《桂林月夜》(1976年)や《黄山雨過》(1978年)、それに唐招提寺の障壁画《山雲》や《濤声》などなど、作品がところ狭しと展示されているのです。

調べてみると、東山は1908年に横浜で生まれ、11年(3歳)のときに神戸に転居しました。東京美術学校を卒業し、その後研究科を修了したあとドイツに留学し美術史を専攻。帰国後、絵を続けました。1945年7月に応召。まもなく終戦を迎えました。戦後は肉親を失い第1回日展に落選するなどして失意のうちに過しましたが、前述の《残照》が日展で特選となり、風景画を手がけていくことを決意したのだそうです。以後、国内のみならず多くの旅をして作品を残しました。今回の回顧展で見られるほとんどすべてが風景画だというのも、こうした理由があったのですね。

それらの作品に共通して言えることは、サイズが大きいこと、風景は眼の前のかたちに忠実であるよりも多少の変形が与えられるているように思えること、それと色彩は観るものに癒しを与えるようなソフトな仕上がりになっていること、とまとめられるでしょうか。私の場合、上のような特徴は、多くの作品ではプラスの印象を受けました。しかし、一部の作品ではその特徴が「人工的」で「創り過ぎ」という感想をもってしまいました。ひとつひとつメモをとったわけではないので、どれが後者に当たるかを挙げられないのが残念ですが、《花明かり》などは境界線上にあるといえる作品です。美しい仕上がりに感心しながらも、いまひとつ素直に喜びきれないもどかしさを感じたりしたのですね。反対に、素直にこれは素晴らしいと感じた筆頭は《残照》でした(この作品は、あまり人工的に飾られていないから気に入ったのかもしれません)。もうひとつ、この美術館に足を運んでよかったと思ったのは、唐招提寺の障壁画が見られたことです。特に《濤声》は、着色も美しく、勢いもあって見入ってしまいました。

会場をあとにする前に私が購入したのは、絵はがきでもなければ図録でもなく、日本経済新聞社から2004年1月に発行されたばかりの『東山魁夷への旅』(東山すみ監修 日本経済新聞社編)というハンディな画集でした。図録のように重くなく、絵はがきとも違って説明文なども付いていますので、ちょっと疲れたときなどに、何気なく広げてみるのに良いと思っての購入でした。本書は実際にそういう使い方をしています。本展で見た作品も収められていますので、実際の作品の色使いと画集のそれの相違などは記憶で補って見るようにしていますが、それなりに楽しめます。
【2004年2月15日】


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