第73回 : 棟方志功 ― わだばゴッホになる(ザ・ミュージアム)

2003年は青森県が生んだ板画家・棟方志功の生誕100年を記念する年に当たっていました。それを記念して、昨年の11月から標記展覧会が開かれたのですね。来る2月1日(日)までが会期で、最終日まで休むことなく開館しています。昨年の12月8日以降、作品の一部展示替えがあり、いまはもう後期です。入館料は一般1200円(当日)です。会場のレイアウトは、この美術館で行なわれる多くの企画展のそれとは異なっていたように思います。会場内の展示に当たっての章立ては、なんともあっさりしたもので、

  前期(1924[大正13]年−1944[昭和19]年・・・21〜41歳)
  中期(1945[昭和20]年−1960[昭和35]年・・・42〜57歳)
  後期(1961[昭和36]年−1975[昭和50]年・・・58〜72歳)


という3区分のみでした。それにしても棟方の作品だけがずらりと並ぶと壮観です。大雑把にいえば、どの作品も流れのある太い線で描かれ、人物の表情なども豊かです。ですから、一つひとつの作品の前に長く立ち止まらずにざっと流してみるだけならば、さほど抵抗なく見られるに違いないと思うのです。でも、そうは問屋が卸してくれない部分もありました。

棟方の前期といえば昭和期の戦前・戦中にあたります。そうした時代に生きたからかもしれませんが、日本の神話に取材した作品がいくつかあります。一例を挙げれば《大和し美し》(1936年)。いつか藤島武二や青木繁の展覧会を見たときにも感じたことですが、日本古来の題材をごく自然に採り上げていますね。要は作品のテーマと、見る私にとってのテーマとの距離の問題になりますが、日本の神話をテーマにした作品は、私が馴染んできませんでしたから、心底共感を覚えるにいたりませんでした。同様に、仏教に題材をとった数多くの作品も私の日常から遠く(仏教に限らず、宗教に疎い生活を送っているので)、テーマそのものに共感を覚えるところまではいきませんでした。しかし、版画そのものがもつエネルギーには圧倒されることがしばしばでした。たとえば《華厳譜》(1936年)の中のひとつ《風神の棚》など、その典型といえるでしょう。宗教的な意味がわかってみれば、一味も二味も違うのかもしれません。また、棟方の作品を見ていくと、画面いっぱいに言葉や詩が書き込まれているものも多かったです。ことばと版画が一体になっているのも、単にことばを伴わない版画を見るときよりも神経を使います。これは、今後また棟方の作品に何度も接していく機会があれば、少しずつ慣れていける(かな)という課題だろうと思いました。

棟方の版画はモノクロで描かれたものもあれば、着色されたものもありました。着色されたものから例を挙げるならば《観音経板画巻》(1938年)がいいでしょう。和紙の特性を生かして紙の裏側から色を差す裏彩色という技法を初めて試みた作品です。この技法は、民芸運動で有名な柳宗悦に示唆されたのだそうです。で、その色が実に柔らかく美しいのです。これは画集などではホンモノの感じが掴めないだろうと想像しました。一見の価値ありですよ! 人間臭い作品といえば還暦の年に描かれた《歓喜自板画像・第九としてもの棚》(1963年)が印象に残ります。画面中央に棟方が幸福そうな表情をして仰向けになっており、周囲にはゆかりのあった人々がつくった作品やベートーヴェンの《第九》があるといったユニークな版画となっています。きっと思わず微笑んでしまう人が多いのではないでしょうか。

会場には音声ガイド(500円)も用意されていて、作品を見るときのさまざまなヒントとその答えが用意されていました。今回は若い女性と中年男性のやりとり(対話)というかたちをとっていましたが、とても工夫されていて理解の手助けになりました。
【2004年1月10日】


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