第57回 : 藤島武二展(ブリヂストン美術館)

この展覧会はブリヂストン美術館の開館50周年を記念して開かれたものです。会期途中で一部展示替えをしながら、藤島の初期から晩年までの代表作品約150点を一堂に展示するという力のこもった展覧会です。会期は来る6月2日(日)までで、入館料は一般1000円(当日)です。

藤島武二(1867-1943)の絵画は、このブリヂストン美術館をはじめ、何度も見た記憶があります。しかし作家の全体像をわかって見てきたわけではありませんでしたから、今回のように、藤島が生涯を通じてどんな作品が生み出していったかを、まとめて見られる機会はとても貴重だといえるでしょう。

全体は8つのセクションに分かれていました。
(1)白馬会と明治浪漫主義の世界
(2)西洋との出会い:パリからローマへ
(3)帰国後の模索;自然主義から表現主義まで
(4)アジアへのまなざし:朝鮮、台湾、中国
(5)女性の横顔:西洋と東洋の交わり
(6)風景への挑戦:大洗、大王岬、淡路島、屋島
(7)集大成へ:「日の出」と「耕到天」
(8)アトリエ:創造の現場
有名な《天平の面影》(1902年)を含むセクション(1)では、《桜狩》(1893年頃、習作)、《春の小川》(1896年)、《婦人と朝顔》(1904年)、《夢想》(1904年)などが印象に残りました。もう少し解説風に言うならば、一つには画風の変遷がはっきりと見て取れます。《桜狩》では、どことなく荒いタッチで、題材ゆえにか日本風のイメージが強いのですが、《婦人と朝顔》や《夢想》に至っては、むしろ前ラファエロ風ともいえそうな婦人の絵になっているのです。女性を描くのが多いように思えるのも面白いですね。

1905年から4年間、藤島はフランス、イタリアへの絵画研究のための留学を果たします。その期間の作品をまとめたのがセクション(2)。《黒扇》(1908−09年)は、この時期に含まれます。この作品は藤島が終生、自分の手元から離そうとしなかったそうですが、晩年に付き合いをもった石橋正二郎(ブリヂストン美術館の創始者)が譲り受け、おかげで私も、この作品は何度もここで見ています。留学時代には風景画も増え、構図も大胆さを増したように見受けられました。そうした作品群から、もう1点だけ選ぶならば、私は《幸ある朝》(1908年)をとります。はじめ、縦長のこの絵の前に立ったときには、別にどうということない作品のように思えたのですが、じっと見ていると、窓から差し込んでくる朝の光や、その光を受けて若い女性が窓辺で手紙を読んでいる姿に吸い込まれていくような感じを受けたのでした。

セクション(3)は帰国後約10年間の作品が見られます。主催者としては、一般に模索期とされるこの時期の作品群について、より積極的な評価が可能だと示唆していました。《マンドリンを弾く女》(制作年不詳)や《空》(1915年)といった作品を見ていると、それなりの面白さを感じます。しかし、セクション(4)で見せる藤島の変身ぶりには驚きました。《朝鮮風景》(1913年)の筆致や色使いは、セクション(3)の同年代の作品と比べても随分ちがって見えます。この後、《騎馬婦人像》(1918年頃)や《唐様三部作》(1924年)などが続き、1938年の《蘇州河激戦の跡》や1939年の《蘇州河激戦の跡》[構図は両者とも酷似しています]などに至るまで、アジアに目を向けた作品が展開されていくようになります。

セクション(5)は女性の横顔ミニ特集。会場に展示されている点数は必ずしも多くないのですが、実際にはもっとたくさんの女性の横顔が描かれたらしいです。そうした変化がなぜ起こったかは、どうもはっきりわかっていないとのこと。《東洋振り》(1924年)など、素晴らしいの一言です。

「海の記念日」が新設された年のこと、新宿のある美術館で「海」をテーマにした展覧会が開かれました。そこに藤島の海を描いた作品もいくつか展示されていたのを思い出しました。それがセクション(6)。日の出を描いた作品も多いのですね。そして《耕到天》(1938年)を加えたセクション(7)。このあたりは、それなりに興味をもって見ましたが、こと私に限って言えば、前半のセクションで抱いて見た興味ほどではありませんでした・・・。
【2002年5月15日】


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