第47回 : 20世紀イタリア美術(東京都現代美術館)

「みつけた、100の物語」とサブタイトルのついたこの展覧会も「日本におけるイタリア2001年」の一環を担うもので、イタリア美術が1900年から2000年にかけてたどった歩みを、100点の作品によって見ていこうというものです。私としては特にイタリア、イタリアと意識しているわけではないのですが、私のHPにさえ何度もこの言葉が登場するのは、それだけイヴェントが数多く用意されているからですね。さいきんデパートでイタリア関連の催しが目に付くのも、同様の事情です。

さて、9月22日からスタートしたこの展覧会の会期は、12月2日(日)までです。休館日は毎週月曜日。観覧料は、一般(当日)で1100円也です。ちなみに久しぶりに行った東京都現代美術館は、大江戸線やバスの新路線などアクセスの方法が増えていてうれしい限りです。詳細は、同館のHPでご覧ください。

この美術館は、とても広いです。私が行った時も、別の企画展が同時に開催されているくらいでしたから。でも、だからといって「あっという間」に見終わえるような、やわな100点ではありません。音声ガイドなども利用するとすれば、この展覧会だけで1時間半から2時間、たっぷりと時間を見ておきたいところです。

会場内の構成は、次のようになっています。

第I章 新世紀のモダニズム
第II章 アヴァンギャルドと戦争
第III章 第一次世界大戦と1920年代:リアリズムからの逃避
第IV章 ファシズム体制から第二次世界大戦へ:秩序への回帰とレジスタンス
第V章 第二次世界大戦後:イタリア文化の新たなフロンティア
第VI章 1950年代:パリとニューヨークの志向、もうひとつの芸術とアクション・ペインティング
第VII章 1959年から1968年:前衛の新たな動向と反応
第VIII章 1968年以後
第IX章 1980年代とモダニズムの危機
第X章 1989年から今日までの時代の趨勢:ベルリンの壁の崩壊と東西対立の終焉、ヴァーチャル世界とグローバル・コミュニケーションに対するアーティストの答え ― 個人主義、ノマディズム、ネオ・ロマンティシズム

第I章に登場するキーワードの一つは「分割主義(ディヴィジョニズモ)」。たとえばジュゼッペ・ペッリッツァ・ダ・ヴォルペードの《太陽》(1904年 油彩、カンヴァス)に見られるように、自然の光から放たれる輝きを、どんな小さな部分であってもおろそかにせずに、丁寧に丁寧に描きこんでいく技法だといいます。なるほど、印象派の絵画とはかなり趣が異なっています。イタリア美術は、こうして20世紀を迎えたのかと思ったほどです。同じ技法を使って描かれた《稲妻》(1909−10年 油彩、カンヴァス)の作家名を見て、私は「おおー!!」と驚きました(ホントにこう言っちゃいました)。ルイージ・ルッソロと言います。そうそう、この人、画家でもあったのですね。私にとってはイタリア未来派の「音楽家」として名前を知っていた人物なのです。ここでこの人の絵画作品に出会えるとは!

第II章に登場する未来派グループは、第一次世界大戦を「世界の唯一の衛生法」と讃えたといいます。しかし、結果的に戦争は未来派の創造的エネルギーを消耗させてしまったといいますから皮肉なものです。1点1点の作品と向かい合っていると、こうした経緯はわからずに通り過ぎてしまうのですが、めずらしくカタログを購入して読んで、なるほどと納得。行動の自由が制約されたり、攻撃を受ける不安を感じたりしていると、芸術に限らずエネルギーは出てきませんよね。テロ事件が起きた「今」と重ね合わせて解説を読みました。

このようにして第二次世界大戦が終わる第IV章あたりを見たことにしましょう。100年を単位にしてみれば、20世紀の前半から中盤までは比較的ゆっくりした歩みだなと思います。もちろん、それなりの移り変わりが見られて興味深いと感じました。しかし、この展覧会では、第二次大戦後の美術
は速足で歩んでいるような印象をもちました。多様な広がりをもっているかを目の当たりにしながら見ていけるのです。巨大なオブジェあり、映像作品あり、それこそ諸々です。もちろん親しみやすい絵画(裏返して言えば、どこかに新しい工夫があるんだろうけれど、すぐには[少なくとも私には]わからないもの)も多数あります。いずれにせよ100年間のイタリア美術を概観できる、いい機会だと思いました。
【2001年10月11日】


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