第46回 : ジョージ・シーガル展(ザ・ミュージアム)

いま渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで標記の展覧会が開かれています。会期は10月21日(日)までで、この間無休です\(^o^)/ 入館料は一般1200円。

ジョージ・シーガル(George Segal 1924-2000)。名前だけは聞き覚え(あるいは読んだ覚え)がありましたが、これまでに何かの展覧会で接したことがあるかどうかまでは、自信を持って言えません。辛うじて、人間から石膏で直接型をとって立体作品を制作している作家だといわれれば、「うーん、いたいた」という程度。頼りない話です。言い忘れるところでしたが、アメリカの作家です。この美術館では、先年のエドワード・ホッパーもそうでしたけれど、時々忘れることのできないアメリカ美術の紹介が行なわれるみたいですね。

シーガルは、この展覧会の準備が進められている真っ最中、2000年6月に亡くなりました。ですから今回は期せずして、没後最初の回顧展ということになりました。会場内部は、ほぼ作品の制作年代順に配置されていて、作風の変化が手に取るようにわかる仕組になっています。そして、これまで紹介されることの少なかった油彩やパステル画も加えて約100点の作品が来ています。

シーガルは1950年代から画家として、また彫刻家として活動を始めました。その初期の作品といえばカンヴァスに描いた油彩画が主で、時おりパステル画がまじります。題材は旧約聖書からとったり、タイトルをもたない抽象的な絵を描いたり、その他その当時の街にみられる日常的な素材を描いたりしています。マティス風といえる作品も見出せましたが、その一言では片付かない気がしました。こういった作品もあるのだなという感じで、さらっと見てしまいました。

60年代に移ると、それまでタブーとされていたという試み、すなわち人体から直接型を取った作品が制作されるようになり、会場には、この種の数多くの石膏作品が展示されていました。その中で印象に残るのは《歯医者》(1966-1970)。高さ2メートル余り、幅と奥行きが約135センチという大作で、単に人体から型を取るというだけではなくて、歯科医に行くとある、あの器具がでーんと据えられて、その前で仕事をする歯科医の姿がここにはありました。要するに、機械と人間との関係に興味を持った時期の作品らしいのです。

石膏は始めのうち白色でしたが、やがて着色されるようになります。着色といっても、現実の色彩を取り入れるのではなく、単色が使われ、色は記号的な意味を持つといいます。70年代に入ると新たな手法(「インサイド・キャスティング」と呼ばれるそうです)を取り入れ、作品になめらかな感じが与えられるようになります。やがて、社会性・政治性のある公共彫刻を制作するようになり、70年代後半からはインサイド・キャスティングによる等身大石膏像にも本格的な着色が始まります。このあたりの変化は、実際に会場を歩いてみるとハッキリつかめます。

80年代になると、セザンヌの静物画を立体化したシリーズを制作したり、ピカソやキュビズム作品などを立体化したシリーズに取り組んだりします。セザンヌの静物画を立体化したものなど、しげしげと見入ってしまいましたよ。ここまで石膏像のことを中心に書いてきましたが、その間にもパステル画などが併せて展示されていることも報告しておきたいと思います。90年代は、そのパステル画や合板にアクリルで描いた作品が多く並ぶのですが、《バスの乗客》や《酒店》などの石膏像を配置した作品が置かれます。

石膏像は、いずれも眼をつぶっています。考えてみれば、型を取られるときに誰だって眼を開けているわけにはいきませんからね。でも、それを目を開いているように見せることはしていないのです。人体から型を取った石膏像は、いずれも夢想的であったり、見方によっては宗教的な雰囲気を漂わせたりしているように見えますが、その秘密は「閉じた眼」から生まれる静寂感にある、なんて考えられないでしょうか?

忘れるところでした。補足を一つ。冒頭でリンクしたザ・ミュージアムのHPをあらかじめ読んでいくと、展覧会の趣旨、シーガルの生涯、年表、作品などについてかなりつっこんだ予備知識を得ることができます。とてもいいですよ。ただ、残念なのは会期が終わると過去の展覧会の情報が消されてしまうみたいなんですね。ザ・ミュージアムさん、一考してもらえませんか???
【2001年10月5日】


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