第31回 : 死の舞踏 ― 中世末期から現代まで(国立西洋美術館)

現在、東京・上野の国立西洋美術館で、デュッセルドルフ大学が所蔵する版画素描コレクションから、なんと約300点を借りて「死の舞踏 ―中世末期から現代まで」展が開催されています。この展覧会には5年の準備期間がかかっているとのことでした。ずいぶん長い時間がかかるものなのですね。また、300点とは驚くべき多さですが、実際に見てみると小さい作品が多く、さほど気になりませんでした。

会期は2000年12月3日(日)まで。毎週月曜日が休館です。入館料は一般(当日)が830円でした。これが絵画の企画展だったりすると、JR上野駅の公園口で降りる前に、入場券を予め購入できるのですが、今回はそこでは販売されていないみたいでしたね。ポスターが貼ってありませんでしたから。

会場に着いて、まず思ったことは「しまった! 単眼鏡をもってくるんだった」ということ。版画を見る場合、まず作品をざっと見てから、単眼鏡で細部を見ると、細かいところまで神経の行き届いた線が刻まれているのに気付かされることがあります。そのうえで、単眼鏡を使わずにもう一度作品を見るのです。そうすると、2度感激というケースをこれまでに何度となく味わってきたからです。

ま、仕方ありません。出品リスト(無料)をもらって会場に足を踏み入れます。ちなみに、今回は音声ガイドもありません。会場は、第1部「死の舞踏」、第2部「個別的な死のテーマ」と大きく二部に分かたれ、それぞれがより細部のセクションをもっていました。それらは、
第1部:死の舞踏 セクション1 中世末期の死の舞踏
セクション2 近世の死の舞踏
セクション3 近代の死の舞踏
セクション4 20世紀の死の舞踏1(第2次大戦以前)
セクション5 20世紀の死の舞踏2(戦後)
第2部:個別的な死のテーマ セクション1 死と病
セクション2 死と女性
セクション3 死と戦争
セクション4 死と自画像
という構成でした。

西欧では、古くから「死」が骸骨の姿に擬人化されてきたようです。疫病などが起こると、死の恐怖から逃れるために集団舞踊を行なうことがあったといいます。14世紀にペストが流行ったときもそうだったといいますが、この展覧会では、15世紀から宗教改革に至る時代の作品から幕が開きます。それが第1部セクション2の「近世」に時代が移ると、たとえば「イヴの創造」「堕罪」「失楽園」等々、聖書の場面を視覚化し、その一角に骸骨(=「死」の表象)を配置するものも見出せるようになります。近代を経て20世紀にいたるまで、死の舞踏をテーマに取り上げた作品が多く存在するとは、私は知りませんでした。個別的な死のテーマの方も興味深く見ました。特に「死と戦争」のセクションでは、1510年のデューラー作品から始まり、1977年のゲルトルーデ・デーゲンハルトの作品にいたるまで、印象深いものがありました。このセクションでは、かえって今世紀の作品のほうが、一歩まちがえば「死」が隣り合わせだと実感させるような力をもっているように感じたものでした。

テーマから堅苦しいイメージを想像するとするならば、それは決して正解とはいえません。
版画や素描に描かれた多くの骸骨は、それ自身、不気味にも見えますが、その一方でかなりユーモラスな存在にも見えるのです。中には、若い女性の後ろから抱きつき胸をさわる骸骨、なんていう不届きなのもありました。2枚で1組になっている作品の中には、骸骨同士が抱き合ってキスをして(1枚目)、お互いが正面を向いたときに男の骸骨にいくつかのキスマークがついている(女の骸骨に口紅は認められませんでした!)などというのもありました。ヒゲと髪の毛をもつ骸骨は、どこから見てもヒトラーなどというのもありました。

誰も避けて通れない「死」を、いくつもの角度から照らしてくれている展覧会だと思いました。
【2000年10月30日記】


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