第30回 : 日本美術の20世紀 (東京都現代美術館)

9月15日(金)、この日初日をむかえた「日本美術の20世紀 〜美術が語るこの100年〜 」を見に、久しぶりに東京都現代美術館に行ってきました。初日は混むだろうなと予想していたのですが、閑散として・・・、いや、ゆったりと見ることができました。

まず会期等をお知らせしておきましょう。
2000年9月15日(金)〜11月19日(日)まで、上記美術館で。毎週月曜が休館日ですが、ただし10月9日(月・祝)はオープンし、代わりに10日(火)が休館となります。入場料は、一般(当日)が800円です。今回の展覧会がフォローする期間は100年と長いせいもあってか、展示点数は相当数にのぼります。東京都現代美術館の収蔵品に加え、全国の美術館その他の協力を得て、「洋画」「日本画」「彫刻」を合計約280点を集めました。ただし、ごく一部、展示替えがあります(10月17日より)。たしか10点前後だったように記憶していますから、一度に270点前後は見ることになる筈です。普段は、展示が100点未満のケースもあり、多くとも150点程度と思われますから、いかに展示点数が多いかがわかろうというもの。充分に時間的な余裕をもってでかけたいところです。

この100年、日本はいろいろなことを経験してきました。日露戦争、大正デモクラシー、関東大震災、二つの世界大戦、高度経済成長や公害等々が大きなところでしょうか。美術も当然、こうしたできごとに直面してきたはずです。今回の展示構成は次のようなものでした。
  1.近代市民意識の高まり−明治浪漫主義
  2.大正の芸術運動と関東大震災
  3.新思潮と日本−昭和前期
  4.第2次大戦前後−抑圧と解放
  5.高度経済成長期−新しい美術への挑戦
  6.美術の個別化と国際性−21世紀へ向けて


この展覧会の中心は、いわゆる洋画でした。日本画も彫刻も展示点数からいえば、ずっと少ないのです。また「1.近代市民意識の高まり−明治浪漫主義」では、展示される洋画は、白馬会系の画家たち(黒田清輝、久米桂一郎、小林萬吾、藤島武二、和田英作、長原孝太郎、青木繁、小絲源太郎ら)のものに限定されたり、「2.大正の芸術運動と関東大震災」では、中村彜、有島生馬、梅原龍三郎、岸田劉生、萬鉄五郎、関根正二ほかの作品にまじって、鹿子木猛郎(かこのぎ たけしろう)が描いた震災スケッチ数点と、巨大な油彩『大正12年9月1日』が印象に残ります(もっとも、この油彩の制作年は不詳です)。

「3.新思潮と日本−昭和前期」に移ると、作品がもっと多彩になります。1974年の復元画ながら、岡本唐貴の『争議団の工場襲撃』など、時代の一段麺を伝えるものといえるでしょう。中村研一の『車を停む』(1932年)は、久しぶりに逢った絵。どこで見たんだっけな? と思い起こしてみると、そう、1992年に東京都庭園美術館で開催された「洋画の動乱−−昭和10年−−帝展改組と洋画壇」と題する興味深い展覧会でのことでした。帝展改組も、日本の美術界が通ってきた大きな出来事だったようです。この中村が、のちに『コタ・バル(上陸作戦)』を描いたのかと思うと、ブルジョア風の女性3人が海辺で夏の日を浴びながら、車の座席の下にあるバスケットからリンゴを取り出し、いままさに皮をむこうとしている、そんなのどかな作品との落差を思い知らされ、いっとき立ち止まってしまいました(ちなみに、本展に『コタ・バル』は来ていません)。

「4.第2次大戦前後−抑圧と解放」で数点展示されている、いわゆる戦争画は、じっさいに取材して描いたのか、写真でも下敷きにして描いたのかよくわかりません。中村研一の『第一次大戦青島攻撃図』のように、飛んでいる戦闘機を、さらにもっと上空から描くなどという芸当は、そう簡単にできるものではありませんから。

ハッとしたのは、いままで東京国立近代美術館で何回となく見てきた、北脇昇の『クォ・ヴァディス』(1949年 油彩/カンヴァス)。画面中央の手前には、一人の男が向うをむいて立っています。帽子をかぶり、左手に厚手の本を一冊もち、肩から何かが入った袋を下げ、恐らく右手でもっているのでしょう。男の眼前、すなわち砂漠の左方には、遠くに群集が歩いていきます。赤い旗をもって隊列をなしているようにさえ見えますから、ひょっとすると軍隊でしょうか。右方の一番奥には、雨雲があり、その区域だけ雨が降っています。砂漠にあっては、そこはオアシスに違いありません。男の右足のそばに、二手に分かれる道しるべがあり、どちらがどうという文字は書かれていません。ただ、不思議なことにというか、シュールなことにというか、道しるべの右向きの方に、なんと小さな花が認められます。左足のそばには、おおきなカタツムリの殻(???)があるのですが、意味不明。でも、道を決めるのは、この男が自分でしなくてはなりません。考えているようです。もし、今回のような見方ができるとすれば、いままで何回もこの絵の前で足を止めてきた私は何を見てきたんだろう? ふとそんな気持ちにさせられました。

「5.高度経済成長期−新しい美術への挑戦」から「6.美術の個別化と国際性−21世紀へ向けて」へかけては、抽象的な作品がぐんと多くなりました。

展覧会全体としては、総花的といえる展示でしょう。でも、100年を回顧するとなると、仕方ないかもしれません。主催者は、この100年の成果を確認すると同時に、21世紀への展望もはかろうとしているようですが、私には、その展望がどのようなものなのか、残念ながら伝わってきませんでした。
【2000年9月17日記】


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