第20回 : ピカソ 子供の世界展(国立西洋美術館)

 上野の国立西洋美術館で、3月14日(火)から始まった「ピカソ 子供の世界展」に行ってきました。6月18日(日)までの会期で「へえー、長いんだな」と思ったのですが、その前後、国内の巡回は「無し」で、この美術館だけの催しとなるそうです。休館日は月曜日。
 今回来ている作品は、世界各国の美術館やコレクターから協力を得たようですが、とりわけ、パリのピカソ美術館とマドリードのピカソ美術館から来たものが、比較的多かったように思います。ほとんどが油彩ですけれど160点ほど展示されていますから、できるだけ時間に余裕をもって行きたいところです。

 思い出すと、ちょうど去年の今ごろ、上野の森美術館で「ピカソ展」が開かれていました。昨年がピカソとその周りの女性たちとの繋がりで構成されていたとすれば、今回は「子ども」。ただ、ピカソ自身の子どもに限らず、少年時代から晩年にかけて描いた、それこそ大勢の子どもたちに焦点が当てられていました。

 会場は、7つのセクションに分けられていました。
§ セクションのタイトル 描いた年代
子供の発見 1895-1901
感傷的世界の子供たち 1901-1919
パウロの誕生 1921-1925
象徴としての子供とマヤの誕生 1933-1949
クロードとパロマ 1948-1955
マルガリータ・マリア王女 1957
プットーたち 1960-1971

 §1で印象的だったのは、少年時代のピカソの絵が、とても大人びた仕上がりになっていることです。14歳当時に描いたデッサン「石膏レリーフの模写」(1895年)など、その好例です。油彩では「ミサ答えの少年」(1896年)を挙げておきましょう。遊んだり、眠ったりしている子どもを描くのではなく、ミサという公の場で大人を手伝う少年が題材となっています。
 §2は、貧困と絶望の淵にいる大人たちとともに描かれる子どもは、どうしても今ひとつ元気がありません。これが「青の時代」。「バラ色の時代」を経て、やがてピカソはサーカス芸人の家族を描くようになります。境遇が恵まれているとはいえない人々ですが、共感を持って描いているように思えました。見ていくうちに、「感傷的」というタイトルの意味が少しわかってきました。
 §3にきて、最初の妻オルガとの間に生まれたパウロが登場します。ピカソは、パウロが4歳になるまで、さまざまな衣装を着せるなどして描いていますが、その後はプッツリ描かなくなったそうです。「ピエロに扮したパウロ」(1925年)は、実は昨年の「ピカソ展」でも印象に強く残った絵で、再会できました。今回は、「アルルカンに扮したパウロ」(1924年)が、とても純粋な子どもの表情をしていて好感が持てました。
 §4では、まずミノタウロスといっしょに描かれた子どもが作品に登場します。半人半獣のミノタウロスに肉欲や裏切りや暴力といった意味をもたせ、子ども(少女)を救済の象徴として登場させています。ただ、いままで何度かピカソがミノタウロスを描いた作品を見たことはあるのですが、その意味するものを実感することができないせいか、今ひとつ共感をもって見ることが難しい作品が並びました。しかし、このセクションの後半は、愛人マリー=テレーズとの間に生まれた長女マヤが登場します。パウロのときはオーソドックスが描き方でしたが、マヤはデフォルメして描かれています。それでも味がありました。
 §5ではフランソワーズ=ジローとの間に生まれたクロードパロマが描かれます。一人一人描いた作品と、二人を一つのキャンバスに収めた作品とどちらもあります。
 フラソワーズ=ジローは子どもを連れてピカソのもとを去ります。その後のピカソは、ジャクリーヌ・ロックと同棲(その後何年かして結婚)し、自分の子どもを描いた作品はなくなるようです。§6は、そんな時代の作品です。なによりも自分の模倣をすることを恐れたというピカソは、何世紀も前の巨匠ベラスケスが描いた「ラス・メニーナス」をもとに連作に取り組みました。かなり抽象的な作品になっていますが、構図から元の作品が「ああ、あの絵か」と連想できる程度には描かれえていますよ。ただ原画にある人物が何人か消去されたり、玩具としてピアノが描き込まれたりしています。ちょっと、固めの歯ごたえといったところでしょうか。
 §7は、晩年にかけてのピカソ。神話に現れるというプットーという子どもを描くようになりますが、14歳当時のデッサン「石膏レリーフの模写」(1895年)とは対照的に、なにか雑に「エイ、ヤッ!」と描いたようにすら見える作品が目白押しになってきます。そんな時、音声ガイドから、私(ピカソ)は子どもの頃子どもらしい絵を描けなかった、そして子どもらしい絵が描けるようになるのに一生かかってしまった、というピカソ役の声優の声が聞こえてきました。「なるほど」と納得

 今回見た中では、パウロをモデルに描いた「アルルカンに扮したパウロ」が一番印象に残りました。とても丁寧に描いているような気がして。マヤ、クロード、パロマは、パウロのようなオーソデックスな描き方とは少し違いますが、一人一人の魅力をたっぷり引き出しているように見えました。
 もう一つ、晩年のピカソの作品を何年か前に見た時には、雑に流して早描きしているようで、絵に緊張感があまりないように思えたものでした。でもそれが、子どものように自由に絵を描きつつあるピカソの姿だったのかもしれないとすると、ちょっと複雑な思いがしました。数年前に抱いた、晩年のピカソの絵に対する感想は、今回もやはり変らなかったものですから。
 
 最後に、Online Picasso Projectというホームページをご紹介しておきます。URLは、
       http://www.tamu.edu/mocl/picasso/
です。このホームページには、西暦の年が見出せます。適当な年をクリックして開けてみると、左右に絵画の小さな画像が縦に並び、その絵をクリックするともっと大きな画像に拡大されます。中央部分には、文章が書かれています。今回の文章で触れたいくつかの作品を挙げておきますので、よろしかったらどうぞ。

1896年 「ミサ答えの少年(L'enfant de choeur)」・・・・・・・・・左側一番上の絵
1903年 「スープ」(La Soupe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・左側上から5番目の絵
1924年 「アルルカンに扮するパウロ」(Paul en Arlequin)・・・左側一番上の絵
1938年 「マヤ」(Maia)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・左側上から7番目の絵
1951年 「子供の遊び」(Fran輟ise Gilot avec Paloma et Claude)
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・左側一番下の絵
【2000年3月26日記】


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