第17回 : モナ・リザ 100の微笑展(東京都美術館)

上野公園の東京都美術館「モナ・リザ 100の微笑展 ―― 模写から創造へ」が開催されています。会期は、3月26日(日)までで、毎週月曜日が休館日(ただし3月20日は開館し、翌21日が休館)です。

はじめにお断りしておきますが、今回の展覧会ではレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナ・リザ』は来ていません。どうぞ、誤解なさらないでくださいね。今回の展示は、大きく分けると「模写の時代」と「引用から創造へ」の2部に、もう少し細かく分けると7つのセクションに分けられています。会場の中の展示は、一部区分けの順序が入れ替わっている箇所がありました。

会場に入ってすぐのコーナーは「I-1: 模写される<モナ・リザ>」で、19人(?)のモナ・リザのそっくりさんが、観るものに微笑みかけています。よく見ると、というより少し見ると、確かにどれも似ていますが、違いがあることもハッキリわかります。たとえば皮膚の色、背景の明暗、体型(少々太めのモナ・リザも)などといった具合です。模写の目的は
1.画家の修行
2.完成品の手控えとして(原作者やその工房が作る)
3.作者への礼賛の意味
4.写真がない時代に、ある作品がどういうものかを知らせるため
などが挙げられていました。事実16、17世紀から18、19世紀の模写が多いのですが、それだけに限らず今世紀に入ってからの模写が5点ほどあって(最新の模写は1999年作)、これら5点については何を目的に模写をしたのか、私にはわかりません。

次のコーナーは「U−1: ヒゲをはやした<モナ・リザ>」で、私は一瞬きょろきょろしました。「T- 2」にあたるコーナーが飛んでいるからです。会場の都合でしょうか、「T- 2」は、さらにその次に展示されていました。
抵抗のある人もいるかもしれませんが、ここにはヒゲ面のモナ・リザが多くいます。中には、ジャン=ジャック・ルベルの《モナ・リザの肖像とローズ・セラヴィーの分身》(1965年)のように、オリジナルのモナ・リザ像は模写されていない作品も。これは、作品の中心部に「八」の字型のヒゲが付いています。この作品の前に立つと、辛うじてですが、作品の面に私の顔が反射して写ります。ヒゲを私の鼻の下に来るようにして、にっこりしてみました(遊びですよ)。でも、どうということはありませんでした(誰かに見られなかったろうな?)。このコーナーにある12点の作品は、もちろんすべて20世紀の作品でした。

3番目のコーナーに進みましょう。時代は遡って「T-2: 19世紀と<モナ・リザ>」ポール=プロスペル・アレの《レオナルド・ダ・ヴィンチに紹介されるラファエロ》(1854年)とかジャン=フランソワ・ミレーの《ポーリーヌ・V・オノの肖像》(1841―42年)などが印象に残ります。前者は、若いラファエロが、老レオナルドに紹介されているのですが、画面中央には描きかけのモナ・リザが認められ、室内にはモデルのモナ・リザがいるという、手の込んだ構成となっています。後者は、モナ・リザには似ても似つかぬ別人なのですが、モデルのポーズがモナ・リザとほとんど同じ。模写から一歩抜け出ているところが面白いです。それと、版画、写真などが展示されていますが、モナ・リザの絵が広められていく手段とその過程が見えてきて興味深かったですね。

以下、「U−2: 引用される<モナ・リザ>」「U−3: 散乱する<モナ・リザ>」「U−4: <モナ・リザ>の性」「U−5: 消えた<モナ・リザ>」とコーナーが続きます。「U−2」ではジャン・マルガの《無題(16のコラージュ)》というのがあるのですが、その中で<予備の微笑T>(1994年)というのが笑えて面白かったですね。私以外にも、思わず吹き出している人たちが何人かいました。「U−3」ではアルマンの《大勢のリザたち》(1993年)が面白かったです。この作品はモナ・リザの絵はがきを20枚並べてあるだけなのですが、作品の右側から角度を変えて観ていくと、さまざまな見え方が味わえて面白かったです。「U−4」は、モナ・リザは実は女装した男性だったというコンセプトで作られた作品などが並んでいるわけです。

現代のように写真による複製技術が発達し、精巧で美麗な画集が入手できる時代には、模写はマイナス・イメージをもって捉えられます。私自身も、解説を読まなければ、そうであったに違いありません。模写のもつ効用を少しですが認識できたのは、私にとっては良かったといえます。今回の展覧会で一番強烈に印象づけられたのは、19世紀のモナ・リザの使われ方でした。3番目のコーナーの箇所で触れた2点の作品は、モナ・リザを元に、19世紀の作家自身によって見事に変容されていると思えたからで、20世紀の作品の中に見られるヒゲ面のモナ・リザ以上に、オリジナリティが高いように思いました。逆にいうと、モナ・リザの後世への影響力の強さを知らされたような気もしました。

個々に面白く鑑賞できる作品は少なくないのですが、だからどうしたと振り返ってみると、展覧会全体を通して言いたかったことが、私にはいまひとつ掴みにくかった(もちろん、私だけの問題だという可能性は高いのですが)。そんな消化不良を感じて帰ってきました。
【2000年2月27日記】


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